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西村 保吉(にしむら やすよし〔 / やすきち〔、1865年(慶応元年6月)〔『新編日本の歴代知事』786頁。〕 - 1942年(昭和17年)1月15日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1942年1月17日朝刊、3面の訃報より。〕)は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。官選県知事。 ==経歴== 伊予国出身。西村景信の長男として生まれる。愛媛県宇和島区裁判所雇及び県庁雇となる。1890年、普通試験に合格。以後、同県宇摩郡書記、同県属・内務局勤務などを歴任〔。1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』182頁。〕。 以後、宮崎県参事官、山口県参事官、長野県事務官・第二部長〔『官報』第6925号、明治39年7月30日。〕、北海道庁事務官・第六部長〔『官報』第7061号、明治40年1月15日。〕、同土木部長、同拓殖部長、広島県内務部長、愛知県内務部長などを歴任〔。 1917年1月、島根県知事に就任。産業十年計画の策定を行った〔。1919年6月、埼玉県知事に転任。同年8月、朝鮮総督府殖産局長に転任〔『新編日本の歴代知事』314頁。〕。1924年12月に辞職し退官した〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』132頁。〕。その後、伊達家顧問、維新史料編纂会委員を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村保吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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