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西村 朝日太郎(にしむら あさひたろう、1909年12月21日〔西村朝日太郎 コトバンク〕〔西村朝日太郎 歴史が眠る多磨霊園〕 - 1997年10月27日〔〔)とは日本の文化人類学者、民族学者。早稲田大学文学部教授などを歴任〔〔。海洋人類学研究のパイオニアであった〔。実父は歴史学者、考古学者、文化人類学者、民俗学者の西村眞次、甥はジャーナリスト、評論家の西村幸祐〔。 == 来歴 == 東京府〔〔牛込区(現東京都新宿区)新小川町〔12/27: 万葉①/1942年4月 - 西村眞次『萬葉集の文化史的研究』東京堂 琉文21〕にて生まれる。長男であった〔。父と同じく早稲田大学で人類学を修めた後、日本民族学会付属研究所研究員などを経て、1954年母校の早稲田大学にて教鞭を執る〔〔。1956年8月、論文『貫削木と聖庇の基礎的研究』にて東京教育大学(現筑波大学)より文学博士号を授与〔[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010642716-00 貫削木と聖庇の基礎的研究 西村朝日太郎 [著]]国立国会図書館サーチ〕。この間1946年5月には、国立国会図書館創立事務に携わった〔。 1957年11月タイバンコクで開かれた第9回太平洋学術会議に出席するが、帰路同国沿岸部で、帰国後は沖縄県八重山諸島でそれぞれ漁撈文化の調査に入った〔。1966年2月には早稲田大学から、アメリカ合衆国セントルイスにあるワシントン大学へ客員教授として着任〔。1967年海洋民族学研究会を設立し、自ら会長に就く〔。早稲田大学を定年で退いた後も、同大名誉教授として学術活動に従事した他、東海大学教授も務めた〔。 1997年10月27日死去。87歳没〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村朝日太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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