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西村 治郎兵衛(にしむら じろうべえ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。次郎兵衛、二郎兵衛とも表記。 ==生涯== 加治田衆の一人で、美濃斎藤氏家臣で加治田城主の佐藤忠能に仕えた。 永禄8年(1565年)8月の堂洞合戦では、織田信長に与した佐藤忠能や嫡子忠康(信氏)に従って岸信周攻撃に参加し、加治田の北方面より攻め上がった。なお、この戦いの前に岸方に人質として預けられていた忠能の娘八重緑が刺殺され、遺骸は竹の串で貫かれ堂洞城長尾丸に立てられた。西村はその夜密かに姫の遺骸を奪い取り、龍福寺に葬ったと伝えられている。また、同年の関・加治田合戦にも参加した。 のちに斎藤利治、斎藤利堯に仕え、天正10年(1582年)の加治田・兼山合戦では、緒戦において他の加治田衆とともに牛ヶ鼻砦を防戦し、本戦では東の山に築かれた三徳櫓の家老長沼三徳を始めとして、本陣を囲むように兵が広く配備され、治郎兵衛は将として西の山の砦を守備した。以後、治郎兵衛の名は史料に出て来ない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村治郎兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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