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西村清雄 : ミニ英和和英辞書
西村清雄[にしむら すがお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

西村清雄 : ウィキペディア日本語版
西村清雄[にしむら すがお]
西村 清雄(にしむら すがお、明治4年2月13日1871年4月2日) - 昭和39年(1964年12月25日)は日本の教育者。日本人の創作讃美歌の有名な古典「山路こえて」を作詞したクリスチャン。松山名誉市民第1号。
祖父は幕末の松山を代表する歌人西村清臣。叔父は道後村村長で道後温泉本館を建てた伊佐庭如矢
==生涯==
1871年(明治4年)、愛媛県松山市北京町に伊予松山藩士の長男として生まれる。1885年(明治18年)、愛媛県第一中学校(後の松山中学校、現愛媛県立松山東高等学校)へ入学するが、翌年、廃校。この頃、カトリック教会洗礼を受けた。
1888年(明治21年)、大阪で英語を学び、大阪基督教会宮川経輝の教えを受けプロテスタントの信仰を持つ。
1890年(明治23年)に松山に帰郷すると、松山教会の教会員になる。宣教師のコーネリア・ジャドソン(ジャジソン)の夜学校の設立に協力して、「普通夜学会」を開いた。
1892年(明治35年)、31歳で校長となり、「松山夜学会」(後の松山城南高等学校)と改称し、勤労青年の教育と伝道に没頭する。
1903年(明治37年)に作った創作賛美歌「山路こえて」が明治版讃美歌に採用されて、ポピュラーな日本人創作讃美歌の古典となった。
1952年(昭和27年)に賛美歌を作った法華津峠に記念の歌碑が立てられた。
1945年(昭和20年)からは松山東雲中学校・高等学校の校長となり、1953年(昭和28年)に引退する。後に、愛媛県教育文化賞などを受章している。
1962年(昭和37年)には松山市名誉市民になる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西村清雄」の詳細全文を読む




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