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西村 貞陽(にしむら さだあき〔『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻 (人物情報編)』176頁。〕、1846年1月3日(弘化2年12月6日)- 1886年(明治19年)9月6日〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』95-101頁。〕)は、幕末の佐賀藩士、明治期の開拓使官僚・政治家。元老院議官。旧名・新助〔『札幌人名事典』234頁。〕。 == 経歴 == 肥前国佐賀郡で、農業・西村勇蔵の息子として生まれる〔。 明治2年8月8日(1869年9月13日)開拓使に出仕し開拓少主典となる〔。同年8月24日(9月29日)権大主典に昇進〔。同月、開拓御用米一万石の盛岡藩から函館港への輸送に関して、諸手配と盛岡から諸職人を引率のため函館に出張し、同年10月函館詰・金穀掛を命ぜられる〔〔。同年12月20日(1870年1月21日)大主典に昇進〔。明治3年10月17日(1870年11月10日)開拓権監事となり、同年閏10月20日(12月12日)札幌詰を命ぜられ、札幌本府建設の方針を示した〔〔。以後、開拓監事、開拓権判官、開拓少判官を歴任〔。明治4年(1871年)から明治5年(1872年)にかけて岩村通俊判官と本府建設に従事〔。1873年より黒田清隆次官(のち長官)を補佐し、開拓中判官、開拓大書記官を歴任〔〔。この間、1875年3月から10月にかけて清国に商況視察などで出張した〔〔〔。1881年11月8日、依願免となる。 1883年2月23日、元老院議官に就任〔。1886年9月、病のため在任中に死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村貞陽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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