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西村 麻聡(にしむら まさとし、1958年8月30日 - )は、日本のベーシスト、ミュージシャン、シンガーソングライター、サウンド・プロデューサー。佐賀県生まれ。血液型はA型。本名は、西村 昌敏(読み同じ)。1977年にプロデビューし、1985年まで本名で活動していた。 == 来歴 == ; 1969年 小学5年時、親戚の家で映画『ひまわり』のサントラを聴いたのがきっかけで音楽にのめりこむ。 ; 1970年 12歳のとき、ビートルズの映画「レット・イット・ビー」を見てバンドに憧れる。 ; 1971年 - 1973年 中学生時代に入部した吹奏楽部で、ウッド・ベースを弾かないかと誘われ、ベースに触れる。 ; 1974年 - 1976年 佐賀県立佐賀東高等学校在学中に、バンド仲間のレベル限界を感じ、上昇志向で上京するため、高校を中退する。 ; 1977年 上京後、キーボードを購入し、楽曲制作に没頭する。19歳頃からプロ活動を開始し、数多くのセッションに参加するようになる。 ; 1980年 元『チューリップ』のドラマー・上田雅利が中心となって結成した、バンド『TONY』 のメンバーとしてメジャーデビュー。 ; 1982年 5月、バンド『TONY』が解散。音楽制作事務所・ビーイングに所属する。長戸大幸の制作チーム『Image Forum Concept』に参加し、サウンドプロデューサーとして活動を開始する。 ; 1983年 亜蘭知子のアルバム『浮遊空間』のプロデュースを皮切りに、主にビーイング系アーティストのプロデュース、レコーディング参加を中心に活動する。 ; 1984年 元『YMO』・細野晴臣と野中英紀を中心に結成された音楽ユニット『F.O.E (Friends of Earth)』 にも参加する。 ; 1985年 後の事務所社長となる山路隆俊に占いの姓名判断改名を促され、これまでの西村昌敏から西村麻聡と改名する。同じ事務所に所属していた北島健二、山田わたると バンド『FENCE OF DEFENSE』 を結成。ベースだけでなく、シンセサイザー、ボーカルも担当する。 ; 1986年 前年から音楽ユニットTM NETWORKのツアーサポートに参加。 ; 1987年 6月21日、バンド『FENCE OF DEFENSE』がEPICソニーより、アルバム『FENCE OF DEFENSE』、シングル『フェイシア』でデビュー。楽曲のほとんどを作曲し、一部、作詞も手がけた。 ; 1988年 小泉今日子のアルバム『ナツメロ』でのバックバンドとして、野村義男のユニット『野村義男BAND』に参加。メンバーは野村のほか、元『C-C-B』の渡辺英樹、元・『ZELDA』の小澤亜子、デーモン小暮であった。 ; 1999年 バンド『FENCE OF DEFENSE』は4年間活動休止する。その間、楽曲提供、アレンジ、アーティスト・プロデュース等、スタジオワークを中心に積極的に活動する。映画『黄龍-イエロードラゴン』『自殺マニュアル』『キル・鬼ごっこ』『コンクリート』、プレイステーション・ソフト「それいけ×ココロジー」などのサウンドトラックも手掛ける。 ; 2003年 『F.O.D』の活動を再開し、以後毎年のようにアルバムを制作。 ; 2008年 アルバム『円游律』を事実上の古巣と言えるソニー・ミュージックエンタテインメントからリリースされ、以降の作品も発売されている(詳細についてはFENCE OF DEFENSEの項)。その傍ら、ソロとしてのCDリリースやライブ活動、"matC"名義でのアルバムのリリース、トランス・ユニット"R.A.M"など多岐に渡る活動を精力的に行い、主なライブイベントとしては、80年代活躍したアーティストを集め、各々のヒット曲をジャズ調にアレンジしたライブ『Pop Meets Jazz』というイベントを開催している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村麻聡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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