翻訳と辞書
Words near each other
・ 西武20000系
・ 西武20000系電車
・ 西武2000系
・ 西武2000系電車
・ 西武2形蒸気機関車 (2代)
・ 西武30000系
・ 西武30000系電車
・ 西武3000系電車
・ 西武301系
・ 西武301系電車
西武311系電車
・ 西武31形電気機関車
・ 西武351系電車
・ 西武371系電車
・ 西武40000系電車
・ 西武4000系電車
・ 西武401系電車
・ 西武401系電車 (2代)
・ 西武401系電車 (初代)
・ 西武411系電車


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西武311系電車 : ミニ英和和英辞書
西武311系電車[せいぶ311けいでんしゃ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
西武 : [せいぶ]
 【名詞】 1. (1) Seibu (conglomerate: stores, railway, etc.) 2. (2) Western military 
: [けい]
  1. (n,n-suf) (1) system 2. lineage 3. group 4. (2) type of person 5. (3) environment 6. (4) medical department (suf) 
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

西武311系電車 : ウィキペディア日本語版
西武311系電車[せいぶ311けいでんしゃ]

西武311系電車(せいぶ311けいでんしゃ)は、かつて西武鉄道に在籍した通勤形電車第二次世界大戦中の空襲等によって被災した車体長17m級の国電各形式を戦後日本国有鉄道(国鉄)より払い下げを受けて復旧の上で導入された車両〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.156 - 157〕と、国鉄払い下げの木造車の台枠を流用して前述戦災復旧車グループとほぼ同一の車体を新製した車両〔に大別され、終戦後間もない1946年昭和21年)〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) pp.78 - 79〕〔「東京鉄道管理局報 東達乙第18号 昭和21年1月17日」によると同年1月より順次種車が払い下げられ、また『RM LIBLARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.46 - 47によると同年9月に初号車が落成したとされている。なお、西武鉄道側車両台帳においては初号車の落成を1948年(昭和23年)10月としており、後述する車歴一覧における落成年月は車両台帳記載のデータに拠った。〕から1953年(昭和28年)〔にかけて増備が行われた。
本項では、国鉄より前述戦災復旧車グループの種車の一形式であったモハ50形電車〔の後身であるクモハ11形電車400番台の払い下げを受け〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.159〕、1959年(昭和34年)から1965年(昭和40年)にかけて導入した371系電車〔についても併せて記述する。
なお、本項においては戦災被災車および事故車の払い下げを受けて導入した車両について「復旧車グループ」〔と、木造車の台枠を流用して車体を新製した車両は「鋼体化車グループ」〔とそれぞれ表記する。また本項における車両番号(以下「車番」)の奇数・偶数の扱いについては、車番末尾が奇数の車両を「奇数車」・偶数の車両を「偶数車」と記述するとともに、飯能西武新宿方に運転台を有する車両を「奇数向き(車両)」〔酒井英夫・今城光英・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 終」 (1970) p.67〕、池袋本川越方に運転台を有する車両を「偶数向き(車両)」〔と記述する。
== 導入に至る背景 ==
首都圏の国鉄ならびに私鉄各事業者においては〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(1)」 (1965) p.38〕、第二次世界大戦中の空襲などによって保有する施設および鉄道車両に壊滅的な被害を蒙った事業者が多く生じた中〔、西武鉄道(以下「西武」)は施設面における大きな被害を蒙ることなく〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(13)」 (1967) p.38〕、また在籍する鉄道車両についても被災車両を1両も出すことなく終戦を迎えた〔〔陸上交通事業調整法の施行に伴って当時東京都交通局都電)に運営を委託中であった西武軌道線(後の都電杉並線)においては、1945年(昭和20年)5月25日の空襲による被災車両が発生した。〕。もっとも、同時期における全ての鉄道事業者に共通する喫緊の課題であった〔『RM LIBLARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.9 - 11〕、戦中の酷使に伴う整備不良や補修部品不足に起因する車両稼働率低下は西武においても例外ではなく〔、戦後間もない混乱期における利用客激増への対応もままならず、深刻な車両不足に陥っていた〔。
他の事業者においては運輸省(当時)が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に準拠した車両、いわゆる「運輸省規格型車両」や〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(5)」 (1965) pp.35 - 36〕、本来国鉄向けに設計された戦時設計モハ63形電車(ロクサン形)の割り当てを受ける〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(3)」 (1965) pp.35 - 36〕などして車両事情改善を図った。しかし西武においては、車両増備に関して運輸省の統制下に置かれることや〔、運輸省規格型車両およびロクサン形の導入条件であった既存の保有車両の地方私鉄への供出を嫌い〔、それらの割り当てを全て返上した〔。そして西武は、戦災によって被災焼失し首都圏各地に大量に放置されていた省電(以下「戦災国電」)に着目し〔、これらを復旧の上で導入することによって、運輸省の統制を受けることなく〔、また他社への車両供出義務を負うこともなく輸送事情改善を図った〔。戦災国電の復旧車両導入による輸送事情改善という手法そのものは、西武に限らず複数の事業者において行われたことではあるものの〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(12)」 (1966) pp.63 - 65〕、戦災国電の復旧車両のみによって輸送事情改善を図った事業者は、大手私鉄においては西武一社のみであった〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(13)」 (1967) pp.36 - 37〕。
総計45両〔が導入された戦災国電の復旧車両のうち、種車の車体長が17m級であった39両〔〔については制御電動車モハ311形制御車クハ1311形すなわち311系に区分され〔、復興社所沢車両工場のほか、復興社保谷車両工場・大野組(上石神井車庫における出張工事〔『RM LIBLARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) pp.46 - 47〕)・関東車輌電気・日本電修・小糸車輌の各工場・事業者において復旧工事を施工した上で〔〔、1946年(昭和21年)〔〔から1952年(昭和27年)〔にかけて順次導入された。その他、前述ロクサン形割り当て辞退の代替措置として〔国鉄より借入したモハ50形2両を後に正式に譲り受けてモハ311形へ編入した〔ほか、1949年(昭和24年)〔『RM LIBLARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) pp.36 - 37〕から1953年(昭和28年)〔にかけて、国鉄払い下げの木造車の台枠を流用して〔、前述戦災復旧車グループのうち、モハ50形およびクハ65形を種車とする車両とほぼ同一の車体〔を復興社所沢車両工場において新製した車両が18両増備された〔〔。
計57両が導入された311系は戦後混乱期における西武の車両事情改善に寄与したほか〔、311系の導入と同時に国鉄制式の主要機器を大量に導入したことが後年の西武において国鉄制式機器が長らく標準仕様となる契機となった〔。また車体幅2,800mmの311系導入に伴って〔中川浩一 「私鉄高速電車発達史(11)」 (1966) pp.47 - 48〕、車体最大幅の上限を2,744mmと規定した地方鉄道法に則る車体幅2,700mmを従来の標準仕様とした自社線内の車体限界拡幅工事を行った結果〔、後年の輸送力増強に際して地上設備に大きく手を加えることなく大型車導入を可能としたことなど〔、311系の導入は戦後の西武において多大な影響を及ぼすこととなった〔。
さらに1959年(昭和34年)以降〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.84〕、国鉄において廃車となったクモハ11形400番台の払い下げを受け〔、371系(モハ371形)として導入した〔。同系列が導入された当時は451系電車など新型車両の増備が進行中であったものの、経済成長に伴う爆発的な利用者増加に対応するため中古車両の増備を必要とし、既に導入実績のある旧モハ50形の後身であるクモハ11形400番台の導入に至った〔。当初は20両の導入を予定したが〔、払い下げに際して状態の良い車両を選定した結果〔〔益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 2」 (1960) p.44〕、増備計画が大幅に遅延し〔〔、最終的に13両の導入に留まった〔〔最終増備車となったクモハ379の入線は1965年(昭和40年)2月にずれ込むこととなった。当時は西武における初の量産型カルダン駆動車である701系電車の大量増備時期に相当し、旧型の小型車両の導入は既に時機を逸していた。〕。
後年の新型車両導入に伴って、311系は1973年(昭和48年)までに〔、371系は1975年(昭和50年)までに〔、それぞれ大半の車両が廃車となったが、鋼体化車グループのうちクハ1311形1313・1314〔酒井英夫 「私鉄車両めぐり(100) 西武鉄道 補遺」 (1973) pp.59 - 60〕、および371系を種車とするクハ1311形1336〔、計3両については運転台を撤去の上で付随車サハ1311形1313・1314・1336と改称され〔、351系電車の中間付随車として1990年平成2年)〔小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.280〕まで運用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西武311系電車」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.