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西武モハ351形電車(せいぶモハ351がたでんしゃ)は、かつて西武鉄道に在籍した、日本国有鉄道(国鉄)よりクモハ14形100番台の払い下げを受けて導入した電車である〔益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 2」 (1960) p.44〕。 == 概要 == 1950年代後半における西武鉄道は、自社傘下の復興社所沢車両工場において新製した車両を増備する一方〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.82〕、国鉄において廃車となった電車の払い下げを受け、並行して導入することによって輸送力増強を図った〔。国鉄からの払い下げ車両は主に3扉構造の通勤形電車であるクモハ11形400番台(西武鉄道における形式はモハ371形)で占められていたが、1960年(昭和35年)7月には2扉構造のクモハ14形100番台の払い下げを受けた〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.84〕〔西武鉄道は1952年(昭和27年)10月にクモハ14形100番台の前身であるモハ62形62001の払い下げを受けているが、同車は1950年(昭和25年)8月に落雷事故により被災焼失し廃車となったものであり、払い下げ後は復興社保谷車両工場(後の保谷車両管理所)において国鉄モハ50形(後のクモハ11形400番台)と同等の車体を新製しモハ311形319として復旧された。従ってクモハ14形100番台(モハ62形)をそのまま導入した例としては本形式が初となった。〕。西武鉄道に払い下げられたクモハ14100は、前述国鉄クモハ11形400番台と同様に木造車の台枠および主要機器を流用して車体を新製した、いわゆる「鋼体化車両」であり〔沢柳健一 「鋼体化モハ50系と62系」 (2002) pp.52 - 53〕、1944年(昭和19年)3月に国鉄大井工場(現・JR東京総合車両センター)において落成した車両であった〔。国鉄在籍晩年の同車は豊橋運輸区(静トヨ)に所属し、飯田線において運用されたのち、1959年(昭和34年)11月〔に廃車となり、翌1960年(昭和35年)7月〔に西武鉄道へ払い下げられ、モハ351形352(初代)〔〔西武鉄道における車両番号(以下「車番」)付与基準は運転台の向きによって車番末尾の奇数・偶数を厳密に区分する方式を採用しており、同車は池袋・本川越方に運転台を有する偶数向きの車両であったことから、本形式は1形式1両のみの存在であったにも関わらずモハ351を欠番として「モハ352」を称した。後年本形式がクモハ251形(3代)へ改称された際に「クモハ252」を称した理由も同様である。〕として導入されたもので、終始1形式1両のみが在籍した〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.159〕。 モハ351形(以下「本形式」)は、1964年(昭和39年)1月31日付〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77〕で実施された車両記号改正において制御電動車を示す記号が「モハ」から「クモハ」に変更されたことに伴ってクモハ351形352(2代)と改称され〔、さらに同年7月〔にはクモハ251形252(3代)と改称・改番されたのち、1965年(昭和40年)4月〔に荷物電車への転用改造を施工しクモニ1形2(2代)と改称・改番、1978年(昭和53年)まで在籍した〔『私鉄電車のアルバム 別冊A 荷物電車と電動貨車』 (1979) pp.42 - 43〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西武モハ351形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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