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西浦 克拓(にしうら かつひろ、1974年11月12日 - )は、大阪府南河内郡狭山町(現:大阪狭山市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 == 来歴・人物 == 上宮高校では黒田博樹、筒井壮と同期。1年夏から4番を打ち、高校通算23本塁打を記録。1992年のドラフト5位で日本ハムに入団。パンチ力のある打撃が魅力で、落合博満が日本ハムに移籍した際には4番打者の座を争う選手として注目された。 1998年には打力が衰えていた落合に競り勝ちレギュラーを獲得、前半戦で17本塁打を記録しシーズン途中からは4番も任されるようになった。しかし、オールスター後は弱点のインコースを徹底して攻められ成績も下降、トータルでは20本塁打に終わる。首位を走っていたチームの低迷にもつながってしまい、4番の座も他の打者に明け渡すこととなった。走塁技術は非凡なものがありこの年は18盗塁をマークし、「走れる中距離砲」としての地位を確立した。 1999年は開幕戦から4番を任されるも、打順を意識しすぎてか打撃フォームを崩し、極度の不振に陥ってしまう。結局このシーズンは前年の豪快な打撃が嘘のように本塁打はわずか2本という屈辱的なものとなった。それ以降は本来の打撃フォームを取り戻せないまま、故障もあって出場機会は減っていき、一軍出場が無かった2005年シーズン終了後に戦力外通告を受け現役を引退した。 2009年、関西独立リーグ・大阪ゴールドビリケーンズのコーチに就任。関西独立リーグの公式サイトによれば身長は176cmとなっている。2010年7月、選手登録され選手兼任コーチとして現役復帰。 2010年はビリケーンズの試合のない日を中心に、GAORAプロ野球中継に出演したが、翌年以降は出演していない。 2012年からは関西独立リーグの新球団である06BULLSのコーチを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西浦克拓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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