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西田 亀(にしだ ひさし、1907年9月5日 - 1999年9月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。静岡県柔道協会会長、静岡県警名誉師範等を務めた。 == 経歴 == 岡山県に生まれる。玄武館中央道場に籍を置いて名人・金光弥一兵衛に師事して以来、柔道家としての道を歩み、1931年には岡山県警に奉職し柔道教師を務めた。1934年には請われて静岡県警の柔道師範となり指導にあたったほか、選手としても明治神宮競技大会等の大会で活躍し、1938年の全日本選士権(専門壮年後期の部)では準決勝戦で上田文次郎5段に敗れたものの3位に入っている。 静岡県警在職中は、1959年に逮捕術創設の任に当たり警察庁長官より表彰を受けるなどし、また1973年まで39年間に渡る長年の指導の功績が認められて静岡県警で初めて“名誉師範”の称号を受けた〔。 一方で、静岡県柔道協会の前身である静岡県有段者会では幹事長・副会長として静岡県の柔道振興に尽力し、1968年に同会の会長であり同門の先輩でもある大蝶美夫(講道館9段)が急逝してからは、1987年までの19年間、3代目会長として手腕を振るった。 またこの間、全日本柔道連盟理事・評議員、東海柔道連合会常任理事・審議委員・顧問といった要職を歴任し、1979年には勲五等瑞宝章を受章〔。 80歳を過ぎるまで柔道衣を着用して高校生に指導しており、1998年6月に血圧低下のため入院してからも病院のベッドで受け身を取るなど元気な姿を見せていた〔。8月に一度退院したものの、自宅で肋骨を骨折し11月には再び入院。怪我の発見が遅れた影響で高熱が続き、以降は一進一退の危篤に陥った。10カ月間、何度か山を乗り越えたものの、翌99年9月16日午前11時47分、肺炎のため死去した〔。 拓殖大学元監督で、後に西田の勧めで静岡県警の柔道指導員を務めた安齋悦雄は、西田について「温厚篤実で、声を荒げたり激怒するような素振りはなく、和を尊び、決して高ぶらず、若年の者に対しても常に敬語で対応していた」「西田宅を辞去する時には夫婦揃って門の外に並び、車が見えなくなるまで見送ってくれた」と、その人柄を述懐している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西田亀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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