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西田 健(にしだ けん、1945年6月24日 - )は、日本の俳優、声優。岡山県出身。所属事務所はサーブプロモーション。 == 来歴 == 日本統治時代の朝鮮の江原道元山明治町で、「元山毎日新聞社」の社主をはじめ養蚕業、石炭販売、保険代理店などを幅広く経営する家に生まれた。祖父、父共に早稲田大学卒の実業家であった。健の誕生から間もなく、敗戦によって一家は家財総てを失い、祖国日本の岡山県に引き揚げる。 小学校から高校(都立雪谷高校)を卒業し、映画脚本家を目指し早稲田大学文学部演劇専修科に入学した。しかし当時の大学は授業料値上げ闘争に始まった学園紛争に明け暮れており、ほとんどがロックアウト状態で授業は満足に受講できる状態ではなかった。大学時代の同級には逸見政孝や長塚京三がいた。そこで西田は日本テレビのプロデューサー井原高忠の個人秘書という形で働くことになる。 おりしも井原は坂本九をメインにバラエティーショー『九ちゃん』及び日本で初の深夜番組『11PM』の立ち上げに関わっており、西田は両番組の初代フロアーアシスタントを勤める事になった。この頃にてんぷくトリオで若手だった伊東四朗と知り合っている。井原からは人間の立ち居振る舞いなどの多くの事を学んだという。一年半の日本テレビ生活を終えて大学に戻り、井原の知友であった文芸プロダクションにんじんくらぶ(当時は解散)を主宰していた若槻繁の紹介状を持って、最初は演出志望で劇団雲の門をたたいた。正式に研究生として入団し、俳優の道を歩む。劇団研究生の同期には田中真紀子がいた。 1970年に劇団雲の団員に昇格、1975年からは劇団雲の分裂に伴って、岸田今日子や仲谷昇らと行動と共にして演劇集団 円に所属する。 1971年、『帰ってきたウルトラマン』で、MATの岸田文夫隊員役を演じる。主役の郷隊員を演じた団時朗に匹敵する多くのファンレターが西田の事務所に届き、それは数こそ変化したが現在に至るまで続いている。 1973年には、小川真由美主演の『アイフル大作戦』に探偵学校の生徒・丘大介役で丹波哲郎などの先輩俳優とレギュラー出演し、しゃれたアクションコメディで軽妙な演技を披露した。 この前年に井原高忠より『ゲバゲバ一座のちょんまげ90分』の出演を要請され、新劇役者としてはめずらしいバラエティ出演となった。フルオーケストラで歌を歌ったりグループダンスを踊ったり、各出演者が持ち回りで歴史上の著名人になり、それらが総てギャグになっているという構成であり、西田の持ち役は「光源氏」 だった。なお、この番組はOAのときは一部生放送の部分もあり、大橋巨泉 などとピアノを囲んでフリートークもあった。後年、西田はギャグはお粗末だったが、生バンドで歌って踊ることで度胸がついた、と親しい編集者に語っているこの当時のビデオテープは日本テレビにも現存していない。 20代から30代にかけては、『特捜最前線』や『Gメン'75』などで演じた個性的な犯人役に代表されるように、悪役を演じることが多くなった。とりわけ『特捜最前線』では原子爆弾を製造する思想犯に始まり、ストーカーや潔癖症のマザコン男など、さまざまな役柄を演じた。近年DVD発売に際して行われた人気エピソードのアンケート結果でも、西田がゲスト出演した回は軒並み、上位にランクインしている 『Gメン75』の1ヶ月のヨーロッパ・ロケを終えて帰国した西田は、時代劇を多く自分の仕事の範疇に入れることを決意する。東京制作では中村錦之助故 萬屋錦之介 主宰の中村プロで、錦之助に悪役、癖のある二枚目として重用され常連出演者になり、杉良太郎 物、国際放映で撮影された古谷一行 加山雄三等の 東宝時代劇、天知茂 物、そして、三船プロ で撮影された時代劇を渡り歩いた。この頃から、東映京都撮影所 からも声がかかる様になり、京都での仕事が急激に増えてくる。旧知の深作欣二 監督から呼ばれた『柳生一族の陰謀』テレビ版に始まり、大川橋蔵 に可愛がられ橋蔵直々のキャスティングで数々の『時代劇スペシャル』に出演した。その後は、北大路欣也、松方弘樹、松平健等の様々なシリーズにゲスト出演し、所作事や時代劇の技を磨いていった。 40代以降は、2時間サスペンスドラマや長時間時代劇へも活動の場を広げ、犯人をはじめとした様々な役柄を演じて今日に至っている。中でも日本テレビで放送された『火曜サスペンス劇場』での西田の活躍はめざましく、何回か行われた番組パーティでは一時期最多出演賞の栄誉に輝いている中でもいかりや長介 とコンビで十年以上に渡って撮影された「取調室 」シリーズへの愛着を、全作品を監督した鷹森立一監督へのリスペクトを込めて周囲に語っている 映画の出演作も数多いが、中でもベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した熊井啓監督の『海と毒薬』では、米兵の生体解剖に関わる浅井助手役で、人間の心の闇に潜む、弱さ、卑怯さ不純さ、悪意への傾きを演じ、原作者の遠藤周作や映画評論家の淀川長治から高い評価を受けた。 淀川長治は「…なにげないアメリカ兵と日本人医師{西田健}の会話から、だまし討ちのごとく生体実験にもっていく恐怖、このスリル、このショック、この恐怖にはこれまでのいかなるショック映画もこのシーンの足元にも及ぶまい」〔「いんなあとりっぷ」昭和61年11月号〕と記述している。 2015年12月人気番組『相棒』に業界では異例ともいえる3度目のゲスト出演を果たし高視聴率を獲得した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西田健」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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