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西田 孝宏(にしだ たかひろ 1957年4月14日 - )は、日本の柔道家。現在は全日本柔道連盟審判委員会委員長を務める〔審判委員会 全日本柔道連盟公式サイト〕。 == 人物 == 1957年4月14日、福岡県甘木市出身。早くから柔道を始め、甘木市立甘木中学校〔 日本オリンピック委員会〕から大牟田高等学校へ進学すると、高校2年次、3年次と全国高等学校総合体育大会柔道競技で中量級二連覇を果たす。 国士舘大学体育学部へ入学後、1年の時に世界ジュニア中量級で優勝を飾った(2004年の世界ジュニアでは娘の優香も52kg級で優勝したので、父娘2代で世界ジュニアチャンピオンとなった)。大学3年次、4年次には講道館杯全日本柔道体重別選手権大会男子71kgで2年連続2位、国士舘大学教員となった1980年から同大会4年連続優勝、1年置いた1985年にも優勝しており、講道館杯には通算5回優勝の記録を持つ〔講道館杯日本柔道体重別選手権大会(男子) e.judo(柔道家のための総合サイト)〕。 全日本選抜柔道体重別選手権大会71kg級では1978年、1979年、1984年、1985年と4回優勝。1981年のアジア柔道選手権(ジャカルタ/)優勝。 1985年の世界柔道選手権大会(ソウル/)では7位であった。 同世代の好敵手に中西英敏がおり、両者は国際大会出場を賭けて覇を競い合った。1984年のロサンゼルスオリンピックの選考会となる選抜体重別では西田が優勝しながら、全日本柔道連盟の選考で中西が選ばれた為、オリンピックに縁がないままに終わった。 現役引退後は指導者へ転向。山梨学院大学に籍を置き、法学部政治行政学科教授として教鞭を執る一方で、同校の柔道部監督・総監督として浅見八瑠奈、山部佳苗を指導。また日本代表コーチやユニバーシアード男子柔道代表監督を務めている〔。 2010年の世界選手権女子52kg級優勝の西田優香は長女。長男も柔道選手である〔~山学大柔道部から史上最多の7人が出場 山梨学院ニュースファイル〕。 オリンピックや世界選手権などの大規模大会などでは新聞などのマスコミ媒体で試合解説を務める時もあり、2012年のロンドンオリンピック柔道競技の際に問題となった審判問題では東京新聞紙上にて『ジュリー(審判団)は口を出し過ぎ』と苦言を呈している〔■ジュリーは口出し過ぎ――西田孝宏の目(東京新聞 2012年7月30日付夕刊 柔道ジュリー問題続報〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西田孝宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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