翻訳と辞書
Words near each other
・ 西美濃厚生病院
・ 西美濃四人衆
・ 西美濃天文台
・ 西美薗
・ 西美香
・ 西群馬病院
・ 西群馬郡
・ 西義一
・ 西義之
・ 西義之 (ドイツ文学者)
西義質
・ 西義雄
・ 西羽生駅
・ 西翁院
・ 西習志野
・ 西翠町
・ 西翼
・ 西耕平
・ 西聖和駅
・ 西股総生


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西義質 : ミニ英和和英辞書
西義質[にし よしもと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [しつ, たち]
 【名詞】 1. quality 2. nature (of person)

西義質 : ウィキペディア日本語版
西義質[にし よしもと]
西 義質(にし よしもと、天保8年(1837年) - 明治7年(1874年4月13日)は、江戸時代後期(幕末)の佐賀藩士。軍人。通称は耕蔵。佐賀の乱の首謀者の一人。
== 経歴 ==
天保8年(1837年)、佐賀城下に佐賀藩士の長男として生まれる。15歳の時に元服し家督を継いだ。
戊辰戦争においては前山精一郎に従い、北陸から奥羽戦線を転戦した。最上川の戦いでは敵弾を右胸に受け負傷し、自害を図っているがそれは同僚に止められている。
明治維新後は石井貞興山田平蔵と共に鹿児島に遊学したほか、陸軍中尉や佐賀県大属などを務めた。しかし、程なく戦傷が悪化したため、職を辞し帰農した。
佐賀の乱が起こると、征韓党の一員として神崎方面の指揮をとるなど奮戦した。後に、敗色が濃厚となると江藤新平ら征韓党の主な者は鹿児島へ脱出したが、義質は佐賀城まで退却し、最後は官軍に使者を遣わし降伏した。乱後の裁判では他の首謀者たちと共に斬首となった。享年38。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西義質」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.