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西邑昌一 : ミニ英和和英辞書
西邑昌一[にしむら しょういち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [いち]
  1. (num) one 

西邑昌一 : ウィキペディア日本語版
西邑昌一[にしむら しょういち]

西邑 昌一(にしむら しょういち、1911年11月30日 - 1998年3月22日)は、日本サッカー選手、および指導者。兵庫県出身。辰馬学院甲陽中学校関西学院大学および早稲田大学卒業。
== 人物 ==
選手時代はフォワードを務めた。早稲田大学に在籍していた1934年、第10回極東選手権サッカー日本代表として出場。2戦目のフィリピン代表戦で得点を挙げ、勝利に貢献した。また1936年ベルリンオリンピックの日本代表メンバーにも名を連ねた。
その後指導者となり、国際大会に臨む代表チームの指導にあたるなど、日本サッカーの強化に尽力。1956年からは関西学院大学体育会サッカー部を指揮し、関西学生リーグ・東西王座決定戦で優勝に導いたほか、関学クラブを率いて天皇杯も獲得した。
1976年から1980年まで読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の監督も務めた。
1998年3月22日兵庫県明石市肺炎により死去した〔「西邑昌一氏死去」 朝日新聞、1998年3月23日、2014年7月11日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西邑昌一」の詳細全文を読む




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