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西郷 従吾(さいごう じゅうご、1903年5月19日 - 1980年6月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 == 経歴 == 本籍鹿児島県。陸軍大佐侯爵・西郷従徳の長男として東京で生れる。母は岩倉具定の二女・豊子。学習院中等科、陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1924年7月、陸軍士官学校(36期)を卒業。同年10月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第1連隊付となる。1932年11月、陸軍大学校(44期)を卒業した。 1933年8月、歩兵第1連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員を経て、1935年8月、ドイツへ出張した。翌年6月から東プロイセン歩兵連隊付となり、オーストリア大使館付武官などを務めた。1938年3月、陸軍少佐に進級。翌年11月、近衛混成旅団参謀に就任し、第21軍参謀、南支那方面軍参謀などを歴任し、1940年8月、陸軍中佐に進む。 1940年10月、陸軍省人事局課員を経て、1941年3月、ドイツに出張。1942年11月、大本営参謀となり、以後、南方軍参謀などを経て、1944年3月、陸軍大佐に昇進し緬甸方面軍参謀となる。さらに、第23軍参謀を経て、第20軍高級参謀として華中で終戦を迎えた。第20軍司令官坂西一良は病を得て帰還の途次に病没するが、西郷はただ一人、その死に至るまで病室に付き添っていた〔明治百年史叢書第99巻稲葉正夫編『岡村寧次大将資料 戦場回想編』(原書房)84頁〕。坂西の主治医は西郷を激賞している。1946年11月に復員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西郷従吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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