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西野神社(にしのじんじゃ)は、北海道札幌市西区に鎮座する、神社本庁包括下(北海道神社庁札幌支部管内)の神社で、旧社格は村社。札幌市西区の西野・平和・福井の3地区を氏子区域とする(但し西野の一部は上手稲神社の氏子区域に含まれる)。 豊玉姫命・鵜草葺不合命・譽田別命の三柱を祭神として祀り、特に主祭神である豊玉姫命は縁結び・安産・育児の神として有名で、氏子区域外からも広く信仰を集める。摂社・末社や兼務社などはない。 例祭は9月(敬老の日の前の日曜日)で、例祭当日には三基の神輿(京神輿・江戸神輿・子供神輿)が氏子区域を渡御。西野神社特有の神事としては、3月(毎年ひな祭りの直後の日曜日)に執り行われる人形供養祭(人形清祓・お焚き上げの神事)が有名。 札幌市南区藤野の藤野聖山園内には、神社で建立した奧津城(神道式のお墓)があり、神道式での永代祭祀も執行している。 ==由緒・歴史== 西野地域の開拓は、明治18年(1885年)、故郷から産土神を抱いて渡道した五戸の入植者達によって開始され、この五戸の人々が開拓の守護神として三柱を奉斎する小祠を当時の西野地域の中心とおぼしき所に建立したのが、西野神社の起こりとされる。 明治32年(1899年)1月、右股(現在の平和地区)、左股(現在の福井地区)、広島(現在の西野地区)の各集落の小祠を合祀して、西野全域統合の神社として社号を西野神社とし、同年7月には、境内地として安井茂右衛門から300坪、安井岩五郎から150坪の寄付をそれぞれ受け、大正4年(1915年)、西野神社新築の認可を得て、翌5年に社殿が新築される。 昭和4年(1929年)1月には無格社から村社に列格され、同年7月、神饌幣帛料供進神社の指定を受け、同年8月には現在の西野福祉会館の地に西野神社遥拝所が造営される。 昭和27年(1952年)4月には神社本庁統理から、翌28年2月には北海道庁から、それぞれ宗教法人西野神社規則が承認され、同年3月、西野神社の宗教法人設立の登記手続を完了。 昭和42年(1967年)、大正5年(1916年)に社殿が新築されてから50年が経ち社殿の老朽化が著しく進んでいたことから、半世紀ぶりに社殿が建て替えられる。同年、遥拝所が廃止。 昭和58年(1983年)には、西野神社創祀百周年記念事業の一環として幣殿の造営、拝殿の増築、神饌所の増築、社殿屋根の銅板への葺き替え、回廊や欄干の増設など大規模な増改築が行われ、また、ほぼ同時期に社務所の新築、神札所・物置・渡り廊下の改築、ガレージの移設、手水舎改装等の工事なども行われたため、境内地の様相が一新される。 平成7年(1995年)には、創祀百十年記念事業として授与所が新築され、平成17年(2005年)には創祀百二十年記念事業として、創祀百二十年記念碑の建立、拝殿の向拝と境内の参道への御影石敷設などが行われ、境内はほぼ現在の様相となるが、その後も、第三駐車場の新設、拝殿向拝への木彫取り付け、神輿殿の新築(奉納)、参集殿の改築、土俵の改修、各種樹木の植樹などが行われる。 平成26年(2014年)には札幌観光協会から、北海道神宮(中央区)、さっぽろテレビ塔のテレビ父さん神社(同)、滝野すずらん丘陵公園内のアシリベツの滝(南区)、複合商業施設ノルベサの観覧車ノリア(中央区)とともに、「札幌観光協会のオススメパワースポット」に認定される。 平成27年(2015年)には、創祀百三十年記念事業として、第一駐車場全面や創祀百二十年記念碑周りへの御影石敷設、掲示板の改修、氏子青年会の結成などが行われる。 ファイル:大正時代の西野神社.jpg|大正時代の西野神社 ファイル:明治時代後期から大正時代にかけての西野神社拝殿.jpg|大正時代の西野神社 ファイル:昭和42年に造営された西野神社拝殿.jpg|昭和42年の西野神社 ファイル:平成27年現在の西野神社拝殿.JPG|平成27年の西野神社 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西野神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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