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西阿知(にしあち)は、岡山県倉敷市倉敷地域にある地区である。かつての浅口郡西阿知町(にしあちちょう)にあたる。 現在の西阿知小学校区にあたる。 本項ではかつて同地域に所在した浅口郡西阿知町(にしあちちょう)、その発足時の名称である河内村(こううちそん)、町制当初の名称である河内町(こううちちょう)についても述べる。 == 概要 == 倉敷市街地の西部、高梁川下流左岸に位置し、三日月状の形をした地域である。西阿知町(にしあちちょう)・西阿知町西原(-にしばら)・西阿知町新田(-しんでん)・片島町(かたしまちょう)からなる。 地区の土地の殆どは河川の堆積と新田開発による低平地で占められ、約15,500人が居住する〔倉敷市統計月報 町丁別人口 西阿知地区 平成23年3月を参考〕。地場産業として「い草」製品が有名で、萩原工業創業の地である。 かつて、駅のある旧市街の周辺は稲作やい草栽培が盛んな農業地区で道路事情は後れていたが、近年になって旧市街を囲むように国道2号玉島バイパスに県道笠岡線とそれらを結ぶ都市計画道路等の整備がすすみ、東に隣接する中州地区の大型ショッピングモールの進出等の環境変化により宅地開発が増えている。 古代には吉備の穴海と呼ばれる海域で、高梁川の当時の河口沖であった。その後、高梁川の運ぶ土砂の堆積作用により、干潮時は干潟が広がるようになり、阿智潟(あちのかた)と呼ばれるようになった〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 1926年に高梁川の改修工事が完了するまでは、東西の高梁川に挟まれた地域内で、その中の西側に位置していた〔。 明治35年9月30日に西阿知・甲内両村が合併して河内村となり、現在の範囲が確定。大正11年の町制施を経て、同15年1月1日に西阿知町に改称した。これは、河内の地名の由来が東西の高梁川の間に位置することであったが、前述の高梁川改修工事のより東高梁川が廃川となり「河内」の地形でなくなったためである〔巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社〕。 かつては米やイグサの栽培が大変盛んで、代表的な特産品に花莚があり、全国屈指の産地であった。近年は生産量の減少とともに、原料のイグサ栽培の衰退からPP(ポリプロピレン)を使用する業者が多くなっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西阿知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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