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西馬音内の盆踊(にしもないのぼんおどり)とは秋田県雄勝郡羽後町西馬音内で行われる盆踊りである。毎年8月16日から18日まで西馬音内本町通りにおいて行われる。阿波踊り、郡上おどりと合わせて日本三大盆踊り、毛馬内の盆踊、一日市の盆踊と合わせて秋田県三大盆踊りと称される。重要無形民俗文化財。 == 歴史 == 西馬音内の盆踊の起源・沿革については、全く記録されたものがない。県内の盆踊りの歌謡などを採録した菅江真澄(すがえますみ)の書物や、院内銀山(旧雄勝町)の医師であった門屋養安(かどやようあん)の日記にも近隣の芸能はでてくるものの、西馬音内の盆踊の記述はない。ただ、凶作の年でも中止されることもなく続けられたと伝えられ、当初から、多くの人々の熱意と愛情により踊り継がれたことがうかがえる。 もっとも古く残る伝承によると正応年間(1288-93)、修行僧源親が蔵王権現(現在の御嶽神社)を勧請し境内で豊年祈願として踊らせたものという。 それ以後の伝承は近世のものが2つ事柄に関して伝わっている。中世において、鎌倉政権と奥州藤原氏との戦いである奥州征伐(1189)の功により雄勝を領有し、西馬音内城(現在の郷ノ目周辺)を小野寺氏が築城して一帯を治めるようになり、付近の地域は比較的平和な時代が続いた。伝承は、この治世の終末期にまつわる言い伝えで、一つ目は、文禄2年(1593)西馬音内城で矢嶋城主大井五郎満安が自刃したのを悼み、遺臣・侍女たちが盆に城下で踊ったのが始まりとする説、もう一つは、慶長6年(1601)最上勢の進攻により西馬音内城は自焼落城し、城下の堀廻(現元西地区)および前郷(現西馬音内地区)に土着帰農した遺臣も少なくなく、在りし日を偲んで毎年盆踊りをしたとする説である。 前郷に住み着いた人々は蔵王権現の豊作踊と一緒になり、盆の16日から20日までの5日間、西馬音内寺町の宝泉寺の境内で踊ることになった。年とともに盛んになって、お寺の境内で踊れなくなり、天明年間(1781-88)場所を本町通りに移したと伝えられる。尚、堀廻に残った人々は、城山の下(現在の梺(ふもと)付近)で踊った。明治27年(1894)の洪水でこのあたりが荒廃したので、翌年からは役場(今の元西支所)前で踊ることになった。明治42年(1909)の盆は、たまたま近所に重症の病人があり、踊太鼓の響が堪えられないと訴え、家人の願出により、人の命には代えられないと踊は中止された。現在は、「元城(もとぎ)盆踊り保存会」が中心となり、8月14日に開催されている。 大正年間にはいよいよ盛んになった盆踊りに対し警察の「風俗を乱すもの」としての弾圧があり、一時は非常に衰えた。しかし盆踊の復興を望む住民感情が高まり、時の町長柴田養助など、私財を投げ出してまで復興を望む人もおり数年後には元のように盛んになった。 昭和10年、県の推薦によって日本青年館主催の「第9回全国郷土舞踊民謡大会」に出場した。時の町長自ら踊り子やスタッフとともに乗り込み、満場の喝采とともにラジオや映画によって全国的に有名となり、一層の活気を呈するようになった。また、この時に盆踊りの形態は現在の型に整ったといわれている。 昭和20年、第二次世界大戦敗戦と同時に初めて盆踊りが中止された。しかし翌年、犠牲となった戦没者を慰めるために再開され、以後一度も中止されることなく現在に至っている。 昭和22年、戦後間もなく、食糧も乏しかった時代ではあるが、西馬音内盆踊りの振興および保存・伝承を目的として「西馬音内盆踊保存会」が住民の「誇りと愛情」により設立された。 昭和33年、盆正月の行事も新暦で行うことになり、盆踊りの開催は8月16日~18日までの三日間となった。 昭和46年11月、文化庁長官より、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択。同12月には県教育委員会より、秋田県無形文化財として指定された。 昭和56年1月21日、盆踊りとしては全国で初めて国の重要無形民俗文化財に指定された。 同年、アメリカ・サンフランシスコの桜祭りで初めての海外公演が行われた。このときの活躍は地口の歌詞にもなっている。以後、平成12年、ハンガリー、フランス、同13年、韓国、同16年アメリカ・ミネソタで、同18年、モンゴル(建国800年記念)、などの海外公演が行われ、国際交流の一翼を担っている。 平成3年、東北新幹線が盛岡まで整備され、JRがキャンペーンでとりあげた。このころから、観光客が増え始めたと言われている。 平成11年、第七回地域伝統芸能全国フェスティバルにおいて、長年にわたり地域伝統芸能の振興に貢献したとして、秋田県で初めて地域伝統芸能大賞を受賞した。 同年、開催中にテレビ朝日放送の「ニュースステーション」で実況生中継が行われた。 平成15年には、長年にわたり盆踊りの保存伝承に貢献していることが高く評価され、サントリー地域文化賞を受賞した。 平成17年8月、西馬音内盆踊り会館、かがり火広場が完成した。盆踊り会館は、伝統の踊りの保存・継承、踊り会場の拠点として作られ、保存会の練習会場として使われるほか、盆踊りの本番には実行委員会の本部およびお囃子のやぐらとして活用されている。 平成23年7月、西馬音内の盆踊を歌った「西馬音内盆唄」(唄:城之内早苗、作詞:喜多條忠、作曲:田尾将実、編曲:南郷達也、B面「遠い花火」)がテイチクから発売された。PVには西馬音内の盆踊の実際の映像や衣装などが使われている。 現在はかがり火を囲んだ細長い輪をつくり、母から子へまたその子へと受け継がれてきたという昔を物語るひこさ頭巾とあでやかな端縫い衣装をまとった踊り手がにぎやかで勇ましく鳴り響くお囃子の音色を聞きながら、夕方から夜更けまで舞われる。野性的な囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が西馬音内の盆踊の特徴である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西馬音内の盆踊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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