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覃振 : ウィキペディア日本語版
覃振[たん しん]

覃 振(たん しん )は、清末から中華民国の革命家・政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、中国国民党では右派の西山会議派に参加した。旧名は道譲理鳴
== 事跡 ==

=== 革命派としての活動 ===
1902年光緒28年)、桃源県の漳江書院に入学し、このときに宋教仁と知り合った。翌年、常徳府の中学に進学したが、在学中に清朝官吏の横暴・腐敗を糾弾し革命の必要性を説く演説を行ったために、除籍処分を受けている。除籍後も革命派としての文筆活動を続けたために官憲の取り締まりに遭い、覃振は事実上日本に亡命することになった。日本では弘文学院に入学し、革命家としての活動を継続している。
1904年光緒30年)に覃振は帰国し、宋教仁・黄興陳天華劉揆一らと反清蜂起を図ったが、事前に漏れ失敗、逃亡した。その後、日本に再来日し、早稲田大学に入学する。1905年秋、東京中国同盟会に加入して評議部評議員に選出された。その後も中国と日本を行き来しながら革命活動に従事したが、1908年(光緒34年)
に蜂起計画が漏れ、清朝により収監されてしまった。
1911年宣統3年)10月、武昌起義辛亥革命)が勃発すると、覃振は自由の身となり、湖北都督黎元洪の下で革命の指揮に加わる。その後、黎と湖南都督譚延闓の2人から委任を受け、覃は両湖代表として南京に赴いた。1912年民国元年)、南京に中華民国臨時政府が成立すると、覃は臨時参議院議員に選出され、翌年春には衆議院議員に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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