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見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)は、見沼代用水(東縁、西縁)と芝川とを結ぶ閘門式運河である。1731年(享保16年)に作られた。 江戸時代後期から明治時代の内陸水運(見沼通船)で重要な役割を果たした。堀全体で4つの関(閘門)を持ち、閘門式運河では日本最古の部類に入る。 昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。 1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。 == 通船堀建設の背景 == 1728年(享保13年)に開削された見沼代用水は、新田の打ち出しのため灌漑用の溜池であった見沼溜井の代わりとして利根川から引かれた用水路である。用水路は、水田等の灌漑目的であったが、利根川と荒川の中間あたりを流れており、年貢米などを江戸に運ぶ水路としても有用であった。1730年(享保15年)に、新田の打ち出しに貢献があった鈴木家および高田家の願い出により、水運利用が許可された。 しかし、用水路は江戸まで直接つながっていないため、江戸市中を流れていた隅田川に注ぐ芝川と代用水とを結ぶ必要性があった。一方、2本の用水路は芝川より数100メートル程度しか離れていないが、標高で約3メートルほど高い位置を流れており、直接運河を掘っても水流のため船を通すことが困難であった。このため、閘門式の運河が必要であった。通船堀は、見沼代用水の建設にあたった勘定吟味役格の井沢弥惣兵衛為永が1731年(享保16年)に普請を指揮して行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「見沼通船堀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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