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覚猷 : ウィキペディア日本語版
覚猷[かくゆう]

覚猷(かくゆう、天喜元年(1053年) - 保延6年9月15日1140年10月27日))は、平安時代後期の天台僧。鳥羽僧正(とばそうじょう)と世に呼ばれ、日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられている。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされることもある。
== 経歴 ==
覚猷は、1053年源隆国の第九子として出生。若年時に出家し、園城寺にて天台仏教・密教を修めながら、画技にも長じるようになった。長らく園城寺法輪院に住し、密教図像の集成と絵師の育成に大きな功績を残したほか、自らの画術研鑽にも努めた。
四天王寺別当、法成寺別当、園城寺長吏など大寺社の要職を歴任する間、1132年には僧正へ、1134年には大僧正へ任じられた。
1138年、47世天台座主となったが3日で退任し、厚い帰依を寄せていた鳥羽上皇が住む鳥羽離宮の証金剛院へ移り、同離宮の護持僧となった。以後、鳥羽僧正と呼ばれた。
保延6年(1140年9月15日、覚猷は90歳近い高齢で死去した。その際、弟子から遺産分与に関する遺言を求められ、「遺産の処分は腕力で決めるべし」と遺したと伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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