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親中派(しんちゅうは、)は、中華人民共和国(中国)に好感・賛意を示している人物のこと。対義語は反中派・嫌中派、あるいは親台派。中国の文化全般に好感を持つ人(親中家)や中国文化に好感を持つことはシノファイルという。 == 日本における日中・日台関係 == 日本では、歴史的経緯から、古代中国を中心に親しみを感じる人がいる一方で、現代を取り巻く東アジア情勢、とりわけ中華人民共和国(中国共産党)と中華民国(中国国民党)との相克から、歴史的に、政治的な立場として「親中派」「親台湾派」と声高に呼称されていた時期があった。 中華人民共和国成立の1949年当時、日本は連合国軍占領下にあり、いずれ大陸の中華人民共和国か台湾の中華民国台湾国民政府のいずれの政府と講和条約を締結するかとの問題が生じていた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)が国連軍と対抗するために派遣されたことによって米中関係が決定的に悪化し、1952年日本は台湾を選択し日華平和条約を締結する。一方東アジアの冷戦構造のなかで大陸と日本との人的・経済的交流は続けられており、1972年のニクソン訪中を境に同9月日中国交正常化がはかられる。日中・日台関係は冷戦構造の拘束性のなかでそれぞれ表裏の関係にあった。親中派閥・親台派閥は在日華僑組織を含めた政治問題として存在した。 中国共産党政府は、日中関係が断絶していた時期に日本社会党使節団や日中友好協会、日中文化交流協会、および岸内閣に対立関係にある団体や個人には友好的な態度を続けた。自由民主党のなかでは石橋湛山、松村謙三、宇都宮徳馬ら岸内閣に批判的な党内勢力が日中関係改善に動き出すことになる。 一方、終戦時の中華民国政府の寛容な対日政策に恩義を感じていた引揚者や旧軍関係者は蒋介石神話を生み、いわゆる自民党所属国会議員のなかで「親台湾派」を形成するバックボーンとなっていた〔この項、『自由民主党にみる「親中国派」と「親台湾派」の相克』 田才徳彦(横浜商大論集 Vol.39 P.48-87)をもとに起筆した。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「親中派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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