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親北[しんほく] 親北(しんほく、친북、)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する立場、もしくは北朝鮮主導の朝鮮半島統一を支持する立場を指す。大韓民国(韓国)の保守勢力(ニューライト等)は、韓国の歴史や社会状況・国家体制を批判する立場も「親北」の範疇に含めており、従北(じゅうほく、종북)との表現を用いている。日本では親朝(しんちょう)ともいう。 == 概要 == 連合国による南北分断当初から、朝鮮では南朝鮮の政府(韓国)に正統性はなく、北朝鮮の政府に正統性があると考える者が多かった。史実であるか否かはともかくとして、北朝鮮の指導者には抗日パルチザンの英雄達(特に金日成)が就いていること、ソ連軍は北朝鮮各地域に人民委員会を組織すると直ちに権力を引き渡したのに対し、米軍は南朝鮮にアメリカ主導の李承晩政権が誕生するまで直接軍政を敷いていたことがその理由である。金達寿も、著書「朝鮮」のグラビアで、軍事境界線上で北朝鮮側から見た韓国軍の写真を掲載している。 独立から朝鮮戦争を経て1991年に国際連合へ加盟するまで、分断国家の韓国は冷戦という環境下で「朝鮮の正当な国家」としての地位を北朝鮮と争っていた。朝鮮戦争の被害と公権による徹底的な反共政策の結果、当時の韓国世論は北朝鮮を敵視しており「親北」は社会的に許されるものでなかった。そのため、歴代政権はしばしば反政府運動と「親北行為」を同一視して国家保安法による冤罪事件を生み出した。「親北」が許されない社会状況は民主化宣言後も続いていたが、この間に1991年に第41回世界卓球選手権で南北統一チームとして出場するなどと状況は大きく変わった。1998年に金大中政権になり2000年代に入ると、太陽政策の影響から韓国世論は北朝鮮を「敵」ではなく「同胞」として見るようになった。それと同時に「祖国統一」の観点から北朝鮮の立場に理解を示す人・団体も現れるようになり、在野系の流れを汲むマスコミ(ハンギョレ等)を通じて南北融和を促す主張が提起された。このような流れは韓国現代史の評価見直し作業と並行して進み、特に盧武鉉政権は真実和解委員会という政府組織を新設して政治家(李承晩・朴正煕等)の反共政策、韓国軍、韓国中央情報部による「犯罪行為」の調査・発表を行った。 そのため、反共主義と李承晩・朴正煕の肯定的評価を基本思想とする伝統的な韓国保守系のマスメディア(朝鮮日報等)や政党(ハンナラ党)、及びにニューライト支持層は「韓国史の再評価」に対し強く反発し、「北朝鮮に従属する立場」という意味合いから北朝鮮に融和的な立場(親北)を取る人物・団体に「従北」というレッテルを貼って攻撃している。韓国社会の親北的な雰囲気は、セヌリ党(李明博・朴槿恵)政権の誕生や核実験に代表される北の相次ぐ軍事的挑発によって2010年代には一応の落ち着きを見せている。 なお、韓国で朴正煕率いる軍事政権が反共の猛威を振るった1960年代から1970年代にかけて、日本の知識人の間では、親北であることが進歩的であるとの空気が蔓延していた。これは、1960年公開の映画「青春の国千里馬」等、北朝鮮に肯定的なマスコミュニケーションがイメージ形成に一役買っていたと言われる。だが1980年代には北朝鮮がラングーン事件や大韓航空機爆破事件などのテロ事件を起こしたことをきっかけにその体制の実態が知られはじめ、日本共産党と朝鮮労働党との関係の断絶もあって衰退。1990年代に入ると、韓国の民主化が進んだ一方、核兵器開発問題や人権問題などが日本のマスメディアでも強調されるようになり、日本人拉致事件の発覚もあって日本における親北はまとまった形としてはほぼ存在していない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「親北」の詳細全文を読む
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