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角屋 七郎次郎(かどや しちろうじろう)は、伊勢商人・角屋家当主が代々名乗った名前〔『伊勢国比佐古文庫旧蔵文書』国文学研究資料館 (2014年8月14日閲覧。)〕。角屋は屋号。本姓は松本。寛永年中には「角谷」とも号する〔安岡親毅『勢陽五鈴遺響』、第8巻・P223 〕。 なお、代数は、角屋七郎次郎秀持を初代とする場合と2代目とする場合がある〔〔角屋七郎次郎(2代)デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕が、『角屋家文書』等の文献を見ると歴代の当主たちは秀持を初代とカウントして代々名乗り活動〔角屋文書(1)角屋七郎次郎文書及系図 (2015年2月23日閲覧。)〕している。このため、本項目では当人たちに従い秀持を初代として記載する。 == 略歴 == 角屋家の本姓・松本家の祖先は信濃国松本の出身である〔徴古館農業館『贈位先賢遺品目録並講演要領』、P112 〕。永享年間に伊勢国山田に移住した〔徴古館農業館『贈位先賢遺品目録並講演要領』、P113 〕。七郎次郎元秀の代に伊勢国大湊に移住して廻船問屋を開始し、「角屋」と号する商人になった〔。元秀の子・秀持は本能寺の変において一揆に追われた徳川家康の危急を救い、徳川氏の御用商人となった〔角屋歴伝 (2015年2月22日閲覧。)〕〔角屋七郎次郎|朝日日本歴史人物事典 〕。また、北条氏・織田氏・北畠氏らの御用達にも携わる豪商ぶりであった〔。 2代目忠栄の代には蒲生氏郷の松坂城築城と城下町の楽市楽座の開始に伴い、松坂を拠点として活動するようになった〔〔氏郷の町づくり|松阪の歴史 (2014年8月14日閲覧。)〕。 3代目忠祐の代、貿易中に鎖国令が出て帰国できなくなった忠祐の弟・角屋七郎兵衛栄吉がホイアンに永住することになるという出来事もあった〔1-5 角屋七郎兵衛等供養碑並びに松本駝堂墓(来迎寺)|松阪市の指定文化財|松阪市 (2014年8月14日閲覧。)〕。 1765年(明和2年)には藍玉問屋をはじめ、その2年後には酒問屋も始めた〔。1769年(明和6年)には一般の諸問屋株禁止のところ角屋だけ除外され、藩から手厚い保護を受けた〔。 1893年(明治26年)3月の松阪大火では家財を焼失したが、代々祀っていた徳川家康の木像は焼失を免れた〔川島元次郎『徳川初期の海外貿易家』朝日新聞合資会社、P36 〕という。 11代秀貞の代からは再びもとの山田の地に移住した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「角屋七郎次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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