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角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。角川書店(現・KADOKAWA)の創立者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長)、角川歴彦(KADOKAWA会長)の父。 ==経歴== === 出生から学生時代まで === 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた〔鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』9頁〕。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している〔。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した〔鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』11頁〕。中学入学時に、すでに俳句にかなり深い関心を抱いていた〔鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』13頁〕。中学3年生の頃、従兄弟が持っていた雑誌『改造』で、折口信夫(釈迢空)の「大倭宮廷の剏業期」という論文を読んで感動した〔。これが折口信夫との最初の出会いであった〔。 文学書の読書にのめり込んでいった源義は、その結果として数学・英語を苦手とするようになり、医師志望熱もさめていった〔鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』12頁〕。そのかわり国語、なかんずく国文法と漢文には抜群の出来を示すようになり、漢文の教師などは源義の質問にしばしば立ち往生させられた〔。 第四高等学校受験に失敗し、1935年(昭和10年)に中学を卒業すると受験浪人第1年目の生活に入った〔鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』21頁〕。そして、勉学のため京都に出て、平安高等予備校で学ぶことにした〔。 1936年(昭和11年)に上京して東京市立一中(東京都立九段高等学校)の補習科に通った。 古書店で折口の著書『古代研究』に出会ったことが契機となり、父の反対を押し切って國學院大學予科に入学、柳田国男、折口信夫、武田祐吉の指導を受ける〔小島健 「角川源義」 『現代俳句大事典』普及版、149-150頁〕。また折口の短歌結社「鳥船」に入会した。1941年12月、臨時徴兵制度によって大学を繰り上げ卒業する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「角川源義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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