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角田 義一(つのだ ぎいち、1937年6月9日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(3期)、群馬県議会議員(3期)を務めた。「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」共同代表〔群馬の朝鮮人追悼碑を守る会、批判の中集会 「更新拒否なら国際問題」 MSN産経ニュース 2014年4月20日〕。 == 来歴 == 群馬県出身。弁護士角田儀平治の子。群馬県立前橋高等学校から京都大学法学部に進み、1962年卒業。同年司法試験合格。司法修習を経て父同様弁護士となる。 1973年、統一地方選挙群馬県議会議員選挙に日本社会党公認で立候補し初当選。県議会では「県情報公開条例」の制定や「県央処理場設置問題」の調停などに取り組む。県議3期目の1983年7月、第13回参議院議員通常選挙に群馬県選挙区から日本社会党公認で立候補するも落選。1984年には群馬県知事選挙に日本社会党推薦・無所属で立候補するも落選。更に1986年、第14回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で再び立候補するも落選。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に三たび立候補し初当選。参議院予算委員会理事、議院運営委員会理事、党総務局長などを歴任した。1994年、村山富市内閣で法務政務次官を務めた。1995年、第17回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で立候補し再選。社会民主党を経て、1998年、民主党結党に参加し、民主党群馬県連会長となる。2000年には参議院民主党・新緑風会幹事長に就任。2001年には第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で立候補し3選、民主党参議院議員会長となった。 2004年、参議院副議長に就任した。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界引退。民主党は角田の後継公認候補を擁立せず、国民新党の福田晃治を推薦したが、改選数が2から1に減らされていたため、自民党の山本一太に大差で敗れた。現在は地元で弁護士活動を続けている。 2009年4月29日、旭日大綬章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「角田義一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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