翻訳と辞書
Words near each other
・ 角竜類
・ 角章
・ 角笛
・ 角笛城の合戦
・ 角筈
・ 角筈 (曖昧さ回避)
・ 角筈ガード
・ 角筈公園
・ 角筈和泉町線
・ 角筈橋
角筈聖書研究会
・ 角米沢屋旅館ユースホステル
・ 角細大鍬形
・ 角細工
・ 角結膜炎
・ 角能線 (湖国バス)
・ 角能線 (近江鉄道バス)
・ 角脚類
・ 角膜
・ 角膜ぶどう腫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

角筈聖書研究会 : ミニ英和和英辞書
角筈聖書研究会[つのはずせいしょけんきゅうかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つの]
 【名詞】 1. horn 
: [はず]
 【名詞】 1. (uk) expectation that something took place, will take place or was in some state 2. it should be so 
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
聖書 : [せいしょ]
 【名詞】 1. Bible 2. scriptures 
: [しょ]
 【名詞】 1. penmanship 2. handwriting 3. calligraphy (esp. Chinese)
研究 : [けんきゅう]
  1. (n,vs) study 2. research 3. investigation 
研究会 : [けんきゅうかい]
 (n) research society
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

角筈聖書研究会 : ウィキペディア日本語版
角筈聖書研究会[つのはずせいしょけんきゅうかい]

角筈聖書研究会(つのはずせいしょけんきゅうかい)は、無教会派内村鑑三の弟子たちが内村を中心に形成した最初の聖書研究会である。
1901年(明治34年)に自宅で聖書講義を行った。それは、日曜日午前、家族を中心として20名ほどをあつめたものであった。
1902年(明治35年)に三回目の夏期講談会が成功に終わった後に、内村鑑三の東京府角筈の自宅で、有志によって内村鑑三を講師とした角筈聖書研究外が始められた。
また、1901年より内村が行っていた午前中の自宅の聖書講義にも25名に限って出席することが許可された。しかし、二年後1904年9月に突然研究会を解散することになった。
内村は、教会のない者のための無教会主義を唱えるものが、教会と思われるわぎらわしいものを作っていると見られること〔1903年9月16日付の斎藤宗次郎宛の書簡で「弟子を作り教会を作るとの疑察」と内村が記している。:鈴木範久(1983年)146ページ〕を嫌ったためであると言われる。
しかし、翌年非戦論で萬朝報社を退社して、『聖書之研究』の刊行以外には仕事がなくなると。1904年に一度は閉じた角筈聖書研究会を再開させる。
翌1905年には社会主義福田英子の聖書研究会への出席を拒絶している。(福田英子破門事件)
その後、柏木に引っ越して柏木聖書研究会と呼ばれた。
1918年(大正7年)に再臨運動を推進して、同志と共に基督教青年会館(YMCA)に講演会を開いた。これが好評を博して大勢の聴衆を得た。これがそのまま内村個人の聖書講演会となって、1919年(大正8年)に会場を大日本私立衛生会館に移して、1921年(大正10年)に中央聖書講演会(東京聖書研究会)へと発展した。
1923年(大正12年)の関東大震災により、大日本私立衛生会館が倒壊し消失した。以降は、会場を柏木の内村邸内の今井館に移した。
== 脚注 ==

== 参考文献 ==

*関根正雄『内村鑑三』清水書院、1967年
*鈴木範久『内村鑑三』岩波新書、1983年
*内村美代子『晩年の父内村鑑三』教文館、1983年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「角筈聖書研究会」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.