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設楽 啓太(したら けいた、1991年12月18日 - )は、日本の陸上競技選手。埼玉県大里郡寄居町出身。武蔵越生高等学校、東洋大学経済学部経済学科卒業。コニカミノルタ陸上競技部所属。双子(二卵性双生児)であり、弟は、同じ東洋大学陸上競技部出身で、ホンダ所属の設楽悠太である。左利き。 ==来歴・人物== *小学校6年の時に、陸上を始める〔サンケイスポーツ(2012年1月3日)より〕。 *宝物は家族で、好きな女性タレントはAKB48の大島優子である〔月刊陸上競技マガジン1月号増刊箱根駅伝2013(ベースボールマガジン社)より〕。 *双子の他に、2歳上の姉がいる。 *弟とは大学まで同じチームで活躍していた。 *2012年1月に開催された、第88回東京箱根間往復大学駅伝競走第2区を走る。各校のエースが集う2区で4位で襷を受け順位を1位に押し上げると、以降東洋大学は一度も順位を落とすことなく中継し、2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。〔箱根駅伝公式Webサイト〕。同年の出雲全日本大学選抜駅伝競走では1区を走り8位、また全日本大学駅伝では2区を走り鎧坂哲哉の持つ区間記録である37分38秒に2秒及ばなかったものの区間3位となる好走をみせた〔月刊陸上競技マガジン1月号増刊箱根駅伝2013(ベースボールマガジン社)P66より〕。2013年の箱根駅伝総合2位に終わった翌日の1月4日、早朝練習前のミーティングにて酒井俊幸駅伝監督に新主将に任命される。通常は1月下旬頃に新主将は発表されるものであって、この時期の任命は異例。 *2013年2月17日に開催された第57回熊日30kmロードレースにおいて、1時間29分55秒で4位に入り、当時日本大学に在学していた清水将也の持つ1時間30分の学生記録を10年ぶりに更新する〔陸上:熊日30キロロードレース 川内、接戦制す 〕。 *2014年1月に開催された、第90回東京箱根間往復大学駅伝競走では山登り5区を走る。初の5区挑戦であったが快走し、3区を走った弟の悠太と兄弟揃って区間賞を獲得(啓太自身は初の区間賞)。東洋大学は2年ぶり4度目の総合優勝を達成した。同年4月にコニカミノルタに入社。弟の悠太とは初めて別のチームへと進む。(悠太はhondaに入社。) *コニカミノルタではルーキーイヤーから主力として活躍。2014年の東日本実業団対抗駅伝競走大会ではエース区間2区を走り区間賞と大会MVPを獲得。続く2015年の全日本実業団対抗駅伝競走大会でもエース区間4区を走り区間4位の力走を見せた。同年の全日本実業団ハーフマラソンでは、ハーフマラソン日本歴代10位となる1時間01分12秒を記録し5位入賞する。(日本人2位) *2015年4月に行われた金栗四三選抜陸上の5000mの部で、弟.悠太と日本人トップ争いを繰り広げ、最終的には、ラスト200mでスパートを出し、13分41秒04で、日本人トップになった。しかしその後は怪我に泣かされ、弟.悠太と共に双子での初の世界陸上出場を夢見てたが、悠太は出場したものの、村山兄弟が揃って出場した為、初の双子での出場は叶わなかった。その後の大会も、怪我が治らなかった為、相次いで欠場をした。 *2016年1月、復帰初戦となるニューイヤー駅伝では、前年走った花の4区にはチームの大エース宇賀地強が任され、啓太は6区を任され、順位2位を守ったものの38分25秒と、区間10位となり、トップトヨタ自動車との差を広げてしまい、チームも、そのまま2位に終わった。 *同年同月下旬第21回全国都道府県対抗駅伝では、埼玉のふるさとランナーとして出場し、前年悠太が走った3区を任され、24分44秒と、実業団のチームメートの菊地賢人に4秒競り勝ち、区間3位と復活をアピールした。 *同年2月に開催された第60回熊日30kmロードレースは、1時間30分45秒となり、優勝を果たし、完全復活をアピールした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「設楽啓太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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