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許 国雄(きょ こくゆう)は台湾(中華民国)の政治家・教育家・医学博士。歯学博士。 元国民大会代表。東方工商専科学校(専科学校は日本の短期大学に相当)の創設者・学長。元台湾省教育会理事長。中華民国全国教育会監事長。陳水扁政権僑務委員会顧問。中国国民党評議委員(かつて宋美齢ら国民党の重鎮が就任していた)。 == 略歴 == * 1922年 - 日本統治下の台湾・高雄に生まれる。 * 1941年 - 高雄州立高雄中学を卒業し、内地(日本)の九州歯科医学専門学校(現在九州歯科大学)に入学。同校を卒業後、さらに九州高等医学専門学校(現在の久留米大学医学部)へ進学。 * 1945年 - 終戦に伴い台湾へ帰郷。 * 1947年 - 二・二八事件で父親を国民党軍に虐殺され、自らは九死に一生を得る(3.6)。 * 1961年 - 蒋経国中国青年反共救国団主任(後の中華民国総統)と談判し、台湾の政治改革を訴える。「共に改革に取り組もう」と蒋経国から勧められ、国民党へ入党。 * 1963年 - 友人らと育英医護管理専門学校を創設。 * 1966年 - 東方工芸専科学校(後の東方工商専科学校)を創立。後に台湾で最初の日本語学科を同校に設置。 * 1972年 - 台湾省教育会理事長に就任。また、国民大会代表(国会議員)選挙に立候補しトップ当選。日本と中華民国が国交を断交したため、草開省三らの日本人メンバーと教育交流に取り組む。第1回日華教育研究会を台北で開催(以降現在まで日台交互に会場を替え毎年開かれている)。 * 1996年 - 『台湾と日本交流秘話』(編集は名越二荒之助)を監修発刊。 * 2002年 - 肝不全のため死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「許国雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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