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・ 試製中戦車 チニ
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試製九八式中戦車 : ミニ英和和英辞書
試製九八式中戦車[しせいきゅうはちしきちゅうせんしゃ ちほ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい]
  1. (n,n-suf) -made 2. make 
: [く]
  1. (num) nine 
: [やつ]
 (num) eight
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦車 : [せんしゃ]
 【名詞】 1. tank (military vehicle) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

試製九八式中戦車 : ウィキペディア日本語版
試製九八式中戦車[しせいきゅうはちしきちゅうせんしゃ ちほ]

試製九八式中戦車 チホ(しせいきゅうはちしきちゅうせんしゃ ちほ)とは、日本陸軍参謀本部の命で開発され、1939年(昭和14年)7月に完成した試作中戦車。「チホ」は中戦車(ュウセンシャ)として5番目(イ、ロ、ハ、ニ、)に設計されたことを示している。
== 概要 ==
八九式中戦車の後継車をめぐり、参謀本部は「軽量安価で、大量に配備できる戦車」として試製中戦車 チニを推し、運用側が対抗してより高性能のチハ(後の九七式中戦車)を推したことは有名である。この対立は日中戦争勃発とともに軍の予算が大幅に増額されたことで多少高価でも(チニと比較して)高性能のチハが採用されることとなった。
但し参謀本部はその持論を捨てきれなかったようで、軽量安価な車両として開発されたのが本車である。車体の完成は昭和14年(皇紀2699年)であり、当時の兵器の呼称様式(皇紀の下2桁で呼称)に従えば「九九式」となりそうなものであるが、「九八式」という非公式の名称はおそらく計画段階で関係者がその様に呼び始めたのであろう。
『四研史』によれば、「試製中戦車(チホ車)」は1940年8月に油圧操向の試作車の2輌が就工(三菱・大森)、また1941年3月に2輌が就工(小倉・相模陸軍造兵廠)したとしている〔『四研史』、 45頁〕。
本車の外見上の特徴として、
* 砲塔形状は九七式中戦車改一式中戦車のものに似ている。
* 識別点として砲塔後部機銃及びキューポラ(展望塔)が無く、上面は平ら。砲塔前方左側に車載機関銃装備。
* 47mm戦車砲を装備。
* 転輪は片側5つ。サスペンションは他の日本戦車と同じくシーソー式
* 車体後部にソリ(尾体)装備。
* マフラー(消音器)は車体後部左側に装備。
本車に於いて特筆すべきは搭載砲に貫徹力を重視し、長砲身・高初速の47mm戦車砲を採用したことである。チニ・チハはどちらも歩兵支援戦車としての色合いが濃く、搭載砲は貫徹力の低い短砲身57mm戦車砲であった。
この転換については本車が完成する少し前、次期中戦車の開発を睨み昭和14年3月に開かれた戦車研究委員会において「''(次期中戦車の)搭載砲はまず57mmとするも、火砲威力についてはなお研究する。対戦車威力のつとめて増大した戦車砲、または機関砲を装備することも予期すること。口径はやむなくば47mmまで低下することもある。将来戦に於いては対戦車戦闘のやむなき機会多きを顧慮す。''」という設計条件を付けたことからも伺える。特に最後の一文については同年6月に勃発したノモンハン事件、及び同年9月に始まったポーランド侵攻に於いて証明されることとなる。
本車の試製四十七粍戦車砲は、試製九七式四十七粍砲及び試製四十七粍砲の研究成果から設計された。試製四十七粍戦車砲の完成砲は1940年6月より各種試験を開始、同年9月に試製四十七粍戦車砲を装備した本車の砲塔が、九七式中戦車チハの車体に搭載され抗堪弾道性試験が行われた。〔佐山二郎「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」p347、p348〕
砲塔前方左側に機関銃を搭載した意図ははっきりしないが、想像するに同軸機銃に類するものを想定したのではなかろうか。同軸機銃とは主砲の横に同軸で装備される機関銃のことで、主砲発射に際し機銃の弾道を見て着弾点を予測するスポッティングライフルや主砲弾装填の間敵を制しておく用途に使われるが、陸軍の戦車では九八式軽戦車二式軽戦車にしか採用されていない。因みに太平洋戦線で日本の戦車がバズーカに簡単にやられてしまったのは砲弾装填の間に敵を制しておくことができず、敵にゆっくり狙う時間を与えてしまったからだと言われる。
但し搭載する機関銃がベルト式ではなく、20発箱型弾倉を用いて給弾する九七式車載重機関銃である限り、持続射撃が困難であるという問題に何ら代わりは無い。
試作車に搭載されたエンジンは空冷6気筒ディーゼルで、恐らく八九式中戦車(三菱A6120VDエンジン)か九五式軽戦車(三菱A6120VDeエンジン)からの流用であろう。因みに本車のエンジンとして1940年に開発された三菱SA8160VD 空冷8気筒ディーゼル(160 hp / 2000 rpm、排気量16,200 cc)が三菱重工から提案されていた。本車の変速機は前進5段、後進1段であった。また、国産戦車として初めて操向装置に油圧機構を用いた。結果は満足すべきものだったと言われる。
ここまではチハ等に比べ前進が見られる箇所であるが、過渡期の車体であるためかまだまだ遅れた箇所も見られる。車体後部に装備されたソリである。これは第一次世界大戦~戦間期の戦車によく見られるもので、車体を長くすることで塹壕を乗り越える際有利に働くと言われるが、その効果には疑問がある。一説では近代戦車の始祖となったルノーFT-17軽戦車がソリを装備していたため、日本を含めこれを参考にした国々では「戦車にソリ」が当たり前になったとも言われる。
しかしFT-17がソリを装備したのはテールヘビー(重心が後ろにある)で超壕時に不安があったためであり、そうでもない戦車がソリを装備してもあまり効果はなかったらしい。むしろ装備することで逆にテールヘビー気味になり車体後方のサスペンションに負荷がかかって寿命が短くなる、また幾分か車重が増えることで機動性能が落ちるなどの欠点がある。実際、ソリを装備した八九式中戦車でもその利点は荷物置き場として使えること位しかなかったらしい。
また、車体重量に制限を付ける限り装甲防御力の低さも改善されるものとは思えない。キューポラが無いことで、外部視察能力がチハ等に比べ劣ることも否めない。
結局、この辺りのことがあってか本車が制式に採用されることは無かった。もっとも2年前に採用したチハの生産が進んでいる以上、新たに新型戦車を採用してチハの生産を阻害するようなことをしたくなかったというのも大きな理由であろう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「試製九八式中戦車」の詳細全文を読む




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