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諏訪 忠尋(すわ ただひろ、元禄8年10月16日(1695年11月22日) - 享保2年4月23日(1717年6月2日))は、信濃高島藩の第4代藩主諏訪忠虎の三男で嫡男。母は越前松平昌勝の娘。正室は永井直敬の娘。官位は従五位下、出雲守。幼名は菊之丞、小太郎。 宝永元年(1704年)9月15日、将軍徳川綱吉に初御目見する。宝永6年(1709年)6月27日に従五位下出雲守に叙任されるが、享保2年(1717年)に家督相続前に早世した。戒名は景耀院霊淵空恵。代わって嫡子には分家旗本から忠林が迎えられた。 == 参考文献 == *『諏訪家譜』(『諏訪史料叢書』第27巻) たたひろ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諏訪忠尋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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