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諏訪 直頼(すわ ただより、生没年不詳)は、南北朝時代の武将、諏訪氏当主、諏訪大社の大祝(神官)、信濃守。 == 生涯 == ===== 諏訪信濃守について ===== この頃の諏訪氏は、頼重・時継父子が建武2年(1335年)7月の中先代の乱で北条時行を擁して敗死し没落しており、大祝職と惣領は時継の遺児・頼継(よりつぐ)が継いだとされる。 この頼継は、翌建武3年(1336年)の段階で8歳であったと伝わり〔延川和彦ほか著・飯田好太郎補『諏訪氏系図 正編』(1921年、デジタル版 104頁目)〕、これを信ずるならば一般的な元服の年齢である10代前半当時は正平5年/貞和6年(1350年)頃であったということになる。その頃、正平6年/観応元年(1351年)12月15日には諏訪社神長官守矢氏への祈願を依頼する「信濃守頼嗣」が〔阪田、1994年、P.9。典拠は『守矢文書』、『南北朝遺文』関東編3 P.200 1940号。〕、翌正平7年/文和元年(1352年)1月の小笠原政長の書状の文中に「信濃守直頼」が〔阪田、1994年、P.9。典拠は正平7年(1352年)正月日付「武田友光軍忠状」(『甲斐武田文書』、所収:「古文書」浅草文庫本、『南北朝遺文』関東編3 2175号)。〕、それぞれ史料(古文書)上で確認できる。これらが「信濃権守」を称したとされる頼継〔と同じ「信濃守」の官途を持っている〔「権守」(ごんのかみ)とは、守の権官のことであり、正規の官になると「○○権守」から「○○守」となる。〕ことから、頼継・頼嗣・直頼はいずれも同一人物ではないかとする見解がある〔阪田、1994年、P.9。〕。諏訪系図の一部でも「信濃権守頼継」の項に「改頼嗣又頼寛又直頼」とあり〔延川和彦ほか著・飯田好太郎補『諏訪氏系図 正編』(1921年、デジタル版 104頁目)、太田亮『日本国誌資料叢書』第一巻(復刻版、講談社、1977年)。〕、観応元年12月まで「頼嗣」を名乗っていた人物は、翌年1月までの僅かな期間内に「直頼」と改名した可能性がある〔。その活動や改名時期からして「直」の字は足利直義の偏諱を受けたものと考えられている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「諏訪直頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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