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謝 冠生(しゃ かんせい)は中華民国(台湾)の政治家・法学者。主に司法行政分野で要職を歴任し、台湾では司法院院長にまで昇進した。名は寿昌だが、字の冠生で知られる。 == 事跡 == 浙江第一中学、徐匯中学を卒業後、1915年(民国4年)に商務印書館に入り、『辞源』や『中国地名大辞典』の編集業務に参加した。その後、震旦大学法科で学び、1922年(民国11年)に卒業するとフランスに留学している。フランスではパリ大学法学研究所で学び、1924年(民国13年)に法学博士の学位を取得した。 帰国後の謝冠生は、震旦大学、復旦大学、中国公学、法政大学で教授を歴任した。1926年(民国15年)冬、国民革命軍が北伐で武漢に至ると、外交部秘書として登用された。南京に国民政府が成立してからも引き続き外交部に留まり、秘書や条約委員会委員を歴任している。また、国立中央大学法律系主任兼法学院院長も務めた。1930年(民国19年)4月、司法院参事処参事に転じる。1934年(民国23年)10月、司法行政部政務次長となり、1936年(民国25年)3月には司法院秘書処秘書長を務めた。 日中戦争(抗日戦争)勃発後の1937年(民国26年)8月、司法行政部部長に昇進し、以後、1948年(民国37年)12月まで11年の長期にわたってこの地位に在り、司法官任用などの事業に携わった。1945年(民国34年)5月、中国国民党第6期中央監察委員に選出され、1947年(民国36年)4月には、行政院政務委員も兼ねた。司法行政部長離任後は、公務員懲戒委員会委員長兼司法院秘書長に転じている。 国共内戦で国民党が敗北すると、謝冠生も台湾に逃れた。1950年(民国39年)5月、司法院副院長に任命され、1958年(民国47年)6月、司法院院長に昇進している。 1971年(民国60年)12月22日、台北市にて病没。享年75(満74歳)。著書に『中華民国憲法概論』(英文書)、『法理学大綱』、『ローマ法大綱』、『中国法制史』(フランス語)、『ソ連と国際法』(英文書)がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「謝冠生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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