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謝枋得[しゃ ほうとく] 謝 枋得(しゃ ほうとく/ぼうとく、1226年 - 1289年)は、南宋時代末期の中国の政治家、学者。字は君直。 ==生涯== 人柄は豪壮にして博覧強記で直言を好み、常に古今の国家存亡について論じた。宝祐年間に進士に及第し、撫州司戸参軍に任命されたがすぐに辞任し、呉潜に従って民兵を集め信州を守る。宝祐5年(1257年)に賈似道を誹謗した罪で興国軍に左遷された。徳祐元年(1275年)にモンゴル軍が南下すると長江沿岸の防備を任され、南宋を守るために奮闘したが大勢を覆すことができず、国の滅亡を見ることとなる。姓を変えて諸国を遍歴し、売卜(占い)を業としながら、弟子が多くなったので閩中に住居を定め、元のフビライ・ハーンの旨を受けて程鉅夫から招かれたが自分が「亡国の大夫」であるとして拒絶。至元25年(1288年)第5回目の人材招致があり、魏天祐に強要され北京に赴く。死を覚悟した謝枋得は妻子知友に七言律詩を示し、道中から絶食し至元26年(1289年)4月の北京到着直後に没する。 詩の中の「綱常」は永遠の真理、龔勝(きょうしょう)は簒奪者・王莽に抵抗して自殺した人物、南八(南霽雲)は安禄山に与せず節を守って死んだ人物(韓愈)。 北京では南宋の皇太后の隠れ家と瀛國公の所在を尋ねたという伝説もある。彼の妻子も元朝への抵抗者として殺された。日本の浅見絅斎はその著『靖献遺言』で謝枋得の事績を同じ愛国者・文天祥の次に扱った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「謝枋得」の詳細全文を読む
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