翻訳と辞書
Words near each other
・ 謝春林
・ 謝昭仁
・ 謝晋
・ 謝晦
・ 謝朓
・ 謝朝平
・ 謝杏芳
・ 謝枋得
・ 謝枢泗
・ 謝梵境
謝沈
・ 謝淑薇
・ 謝状
・ 謝玄
・ 謝珠栄
・ 謝男
・ 謝皇后
・ 謝瞻
・ 謝礼
・ 謝禄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

謝沈 : ウィキペディア日本語版
謝沈[しゃ しん]
謝沈(しゃ しん、生没年不詳)は、中国東晋学者歴史家は行思。本貫会稽郡山陰県
== 経歴 ==
の翼正都尉の謝秀の子として生まれた。幼くして父を失い、母に孝事しながら、広く学問を修め、経書史書に通じるようになった。会稽郡により主簿・功曹に任命され、孝廉に推挙され、太尉郗鑑に招聘されたが、いずれも就任しなかった。会稽国内史の何充に召し出されて参軍とされたが、老母のことを理由に辞職した。平西将軍の庾亮に功曹に任じられ、征北将軍の蔡謨に参軍とされたが、どちらも任につかなかった。母を養って閑居し、人づきあいをせず、畑仕事の合間に、古典の研究に精励した。康帝が即位すると、朝廷で七廟の改廃の議論があり、謝沈は太学博士として召し出されたが、質疑のために改革は滞った。母が死去したため、謝沈は辞職して喪に服した。喪が明けると、尚書度支郎に任じられた。何充と庾冰が史学の才能に優れたものとして謝沈を推挙したため、謝沈は著作郎となり、『晋書』の編纂にあたった。後に52歳で死去した。
著書に『尚書注』15巻、『毛詩注』20巻、『後漢書』122巻などがあったが、散逸した。著述や詩賦は当時に通行して、その学才は虞預の右に出るものと評された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「謝沈」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.