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護雅夫 : ウィキペディア日本語版
護雅夫[もり まさお]

護 雅夫(もり まさお、1921年3月30日 - 1996年12月23日)は、日本の東洋学者歴史学者。専攻は古代東洋史(中央アジア突厥民族研究)。
==人物==
滋賀県長浜町(現長浜市)生まれ。旧制県立虎姫中学校(現滋賀県立虎姫高等学校)、第三高等学校文科を経て、1941年東京帝国大学文学部東洋史学科入学。1943年広島県江田島海軍兵学校で予備学生教育を受け、海兵教官としては「国史」を担当した。1945年東京帝国大大学院特別研究生。在学中は和田清榎一雄から指導を受け、後に講座を引き継いだ。門下生に、森安孝夫鈴木董などがいる。
1948年北海道大学法文学部助教授、1956年東京大学文学部助教授、1968年同教授。1981年に定年退官。1981年から1991年まで日本大学文理学部教授。この間1966年旧ソ連レニングラード大学(現ロシアサンクトペテルブルク大学)客員教授、1976年トルコイスタンブル大学客員教授、1986年トルコアンカラ大学客員教授。
『古代トルコ民族史研究』で1970年に第60回日本学士院賞を受賞。1992年から日本学士院会員トルコ科学アカデミー名誉会員。東洋文庫ユネスコ東アジア文化研究センター所長、史学会理事長、東方学会理事長(1985年~1991年)、中近東文化センター理事長、古代オリエント博物館理事、日中文化交流協会常任理事、日本学術会議第13期会員等を歴任。1991年勲二等瑞宝章
晩年は神奈川県藤沢市に居住し、約6年におよぶ闘病生活の間も執筆活動は続けたが、1996年肺炎のため相模原市の病院で死去、享年75。遺著に『古代トルコ民族史研究 Ⅲ』(総索引・著作目録の別冊付)がある。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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