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讃岐うどん(さぬきうどん)は、香川県特産のうどんである。 ==概要== 香川県においてうどんは地元で特に好まれている料理であり、一人あたりの消費量も日本全国の都道府県別統計においてずば抜けている。料理等に地域名を冠してブランド化する地域ブランドの1つとしても、讃岐うどんは観光客の増加、うどん生産量の増加、知名度注目度の上昇などの効果をもたらし、地域ブランド成功例の筆頭に挙げられる〔地域の経済2005(内閣府政策統括官室、2005.10)〕。 日経リサーチの隔年調査では地域ブランドの総合力において讃岐うどんは350品目中1位となり(2008年、2010年連続)〔地域ブランド戦略サーベイ(日経リサーチ、2008、2010)。ブランドの総合力を示す名産品PQにおける順位〕、観光客は行き先選択の理由、香川の魅力の第一にうどんを挙げ〔平成22年 香川県観光客動態調査報告(香川県庁、2011)〕、2011年には香川県庁と香川県観光協会はうどんを全面的に推しだした観光キャンペーン「うどん県」〔うどん県 〕をスタートさせた。 古くから良質の小麦〔和漢三才図会(正保3年(1713年)) 小麦の項目に「讃州丸亀の産を上等とす」とある。〕、塩〔さぬき野2004秋 人物伝 久米栄左衛門通賢 (香川https://meta.wikimedia.org/wiki/Special:MyLanguage/Wikipedia_15県庁)〕、醤油〔さぬき野2003春 特集 さぬきうどんの魅力を探る (香川県庁)〕、そして地元ではイリコと呼ばれている煮干し〔などが、讃岐国(現香川県域の旧国名)の特産品であり、それらうどんの材料の入手が容易であった。元禄時代の一枚の屏風絵にも複数のうどん屋を認めることができる〔麺の博物館>うどん&そうめん探訪>歴史:祭礼図 (香川県庁) 「金毘羅祭礼図」(左記オリジナルURLの2012.9.6時点のアーカイブ )〕。時代が下り、現在の地域ブランド名称となる「讃岐うどん」が人口に膾炙するようになったのは、うどんを名物とし始めた1960年代頃と考えられている〔那須(2007:19)〕。 讃岐うどんは香川県のうどん店や家庭で作られるうどんを指すとともに〔日本の食生活全集香川編集委員会(1990)〕、日本全国各地の飲食店でもうどん料理が「讃岐うどん」として供されていたり、冷凍食品など店頭で手軽に入手可能など、香川県外の地域でも容易に食せる料理として広まっている。讃岐うどんは代表的なうどんの一種として有名になったことや、2006年から開始された地域団体商標制度への登録は「地名+商品名」でも、一般的に使用されている名称で全国各地で作られている物は難しいという見解を特許庁は示しており〔、該当する商品(後述)において「本場」「特産」などと表示する場合のみ、公正競争の観点から規制を設けた程度にとどまっている。本場でしか味わえない点と、どこでも容易に触れ得る点の両面から、「本場の味を試したい」という欲求を呼び起こすことに成功している一方で〔、日本国外でのブランド防衛では後手に回った事例も見られる〔「さぬき」商標騒動 - 四国新聞 2008年6月1日〕(後述)。 小麦粉の切り麺であるうどんは香川にしかないものではなく、古来全国にあるが、讃岐は特にうどんのトップブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」といった表現が用いられたり〔日経レストラン、2004年1月号、 p.51〕〔日経ビジネス、2007年2月26日号、p.22〕、特にゆかりはなくとも「讃岐」「讃岐風」を謳われたりしている。 香川県民の生活の中で、うどんは特別な位置を占めている。香川県におけるうどん生産量の推移(ゆで麺・生麺・乾麺の合計、香川県農業生産流通課調べ)は、1980年代は1万トン台中盤から2万トン台中盤、1990年代は3万トン強から4万トン台後半、2000年代前半は5万トン弱から6万トン台中盤であった〔シリーズ追跡 276.県農協の讃岐うどん不正表示 - 四国新聞 2004年11月14日〕。2009年の生産量は59,643トン(小麦粉使用量)、全国1位であり、2位の埼玉県の2倍以上となっている。1980年にはわずか5%でしかなかった日本国内シェアは、以後四半世紀で四半分に迫るほどの伸びを見せた〔米麦加工食品生産動態等統計調査(農林水産省)〕。 香川県民を対象とした調査によると、うどんを「週に1回以上食べる」人の割合は90.5%、「まったく食べない」人は9.5%であり、「週1回」が最も多く50.8%であった〔アンケートでみるうどん県民の「素顔」(1)<食>編=うどん(上) 四国新聞 2016年2月1日〕。 うどんは観光客向けの名物というよりは、老若男女問わず県民の生活に密着した食物・食習慣となっている。うどん店は県全域に分布し、たとえば観光用に「讃岐うどん通り」といった店鋪の特定集中区域はない〔長谷川(2006:19)〕〔碓田 (2001:65)〕。彼らは県外に出てもうどんへのこだわりを隠さず、里帰りにうどんを食し帰郷を実感するほどである〔朝日新聞 1997年12月20日付朝刊p.29〕。 うどんにまつわる地域行事も存在する。半夏生(7月2日頃)にうどんを食べるという慣わしがあり、この習慣に基づきさぬきうどん協同組合が毎年7月2日を「さぬきうどんの日」と制定しているほか〔半夏生にうどんを - 買い物客を無料接待 四国新聞 2007年7月2日〕、大晦日には年越し蕎麦ではなくうどんを食べる県民が一定の割合で存在しており(ただし2010年の四国学院大学の学生による調査では「年越し蕎麦派」が「うどん派」を上回っている〔讃岐うどん王国・香川でも「年越し蕎麦派」がうどんを圧倒 四国学院大学のゼミ生が調査 蕎麦春秋.com(2010年12月)〕〔12月31日付・年越しうどんの悲しみ 四国新聞2010年12月31日〕)、玉売のうどん店や製麺所は多忙を極める。また新たな行事やイベントのプロモーション活動にも余念なく、2009年からは「年明けうどん」をプロデュースするなどしている〔 J-CAST 2008年8月17日〕〔全国製麺協同組合連合会 年明けうどん 〕。 File:Kagawa Udon production.svg|香川県のうどん生産量の推移(農林水産省調べ)。棒グラフは生産量(小麦粉使用トン数)、折れ線は全国シェア(パーセント)〔。 File:Kagawa Tourists.svg|香川県の観光客数の推移(単位:千人)〔。 File:2010 udon&soba top5.svg|うどんとそばの生産量合計が多い県5傑(2009年)。単位は小麦粉使用トン数〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「讃岐うどん」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sanuki udon 」があります。 スポンサード リンク
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