|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 儀 : [ぎ] 【名詞】 1. rule 2. ceremony 3. affair 4. case 5. matter ・ 一 : [いち] 1. (num) one
谷 儀一(たに ぎいち、1881年8月1日 - 1948年7月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍少将。貴族院議員。正三位勲二等功四級子爵。谷干城は養祖父に当たる。 == 履歴 == 1881年(明治14年)、東京で谷乙猪の嫡男に生まれる。母は村田銃の開発者として知られる軍人村田経芳男爵の長女(愛子)。 長じて学習院に学び、1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業し、翌年2月には歩兵少尉に任官する。 1911年(明治44年)には養祖父干城の薨去に伴い、襲爵して子爵となる。 その後、近衛歩兵第2連隊中隊長をはじめ、同連隊副官、近衛歩兵第3連隊大隊長、本郷連隊区司令部付、第1師団副官などを経て、1929年(昭和4年)8月、歩兵大佐に昇進して近衛師団司令部付(拓殖大学服務)となる。 満州事変では、歩兵第5連隊長として出動した。 1934年(昭和9年)3月、陸軍少将に進み、歩兵第3旅団長に着任。同年11月22日発表の論功行賞において、功四級勲三等旭日中綬章、元歩兵第五連隊長として掲載され、新聞各社の号外等により報道された〔藤本尚則『第八師團に輝く行賞』(東京朝日新聞社、1934年11月22日号外)一面及び二面〕。 1935年(昭和10年)3月に待命となり、同月には予備役編入。 同年11月から1946年(昭和21年)3月まで貴族院議員に在任し、研究会に属して活動した。 1948年(昭和23年)7月8日薨去。享年68。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷儀一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|