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谷口 朱里(たにぐち しゅり、1941年11月29日 - )は、日本の女優、元ファッションモデルである〔キネ旬, p.435.〕〔''谷口朱里''、''jlogos.com'', エア、2014年10月1日閲覧。〕〔キネ旬, p.8, 15, 31, 40, 57, 60, 91, 128.〕〔Cowie(1967), p.353.〕〔年鑑, p.325-333.〕〔年鑑, p.169-170.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年10月1日閲覧。〕〔''Shuri Taniguchi''・''Juri Taniguchi''・''Akari Taniguchi'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、日本映画情報システム、文化庁、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、日本映画製作者連盟、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、KINENOTE, 2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、allcinema, 2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、日本映画データベース、2014年10月1日閲覧。〕〔''谷口朱里''、テレビドラマデータベース、2014年10月1日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2014年10月1日閲覧。〕。名の読みは「じゅり」「あかり」とする資料も存在する〔。本名は平沢 孝絵(ひらさわ たかえ)、初期芸名水原 リエ(みずはら リエ)〔〔〔。伊藤道郎のモデルクラブ「すみれモデルグループ」出身のモデルであり、若松孝二が製作、大和屋竺が監督した『裏切りの季節』に主演したことで知られる〔〔〔〔〔。奥野信太郎のエッセイ『女へんの話』に登場することでも知られる〔奥野, p.272-273.〕。のちに新劇女優に転向した〔〔〔人間座アーカイヴ 、人間座、2014年10月1日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == === ファッションモデルから女優へ === 1941年(昭和16年)11月29日、日本の第二次世界大戦参戦を目前とした時期、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草地区)に生まれる〔〔〔。終戦を迎えたときには満3歳であった〔〔〔。 1960年(昭和35年)3月、東京都立紅葉川高等学校を卒業する〔〔。同校卒業後、伊藤道郎が主宰する「伊藤道郎俳優養成所ファッションモデル養成コース」に入所する〔〔。伊藤は、翌1961年(昭和35年)11月3日に死去しているが〔、2014年10月1日閲覧。〕、伊藤が手がけ、松田和子らを育てた文化服装学院系のモデルクラブ「すみれモデルグループ」(S.M.G., 1952年設立)に所属した谷口は、ファッションモデルとしての活動を開始した〔〔。その後、第一協団(代表・浅田健三)に参加、俳優に転向した〔〔。1965年(昭和35年)6月29日に公開された、扇町京子主演の成人映画『色欲のもつれ』に水原 リエの名で出演し、映画界にデビューした〔〔〔。同年8月に公開〔(9月公開とも〔)された『密戯』(監督向井寛)で主演する際に谷口 朱里と改名、以降、この名で定着する〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男の名を挙げているが、谷口の名は挙げられていない〔田中, p.85-86.〕。しかしながら谷口は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、1965年という初期の時期に、向井寛の第3作『密戯』のほか、藤田潤一が岡野進の名で監督した第2作『情怨の女子大生』(同年11月公開)、あるいは福田晴一の成人映画転向第2作『寝がえり』(1966年5月3日公開)に主演しており〔〔〔、独立系成人映画の黎明期の女優であるといえる〔〔〔。 1966年(昭和41年)に創刊された成人映画の専門誌『成人映画』第3号の表紙に起用されたほか〔成人映画, 表(1).〕、同年12月に発行された映画批評誌『映画評論』が選んだ「おピンク映画女優ベストテン」では、1位・内田高子、2位・新高恵子、3位松井康子という並びのなかで、谷口は第9位にランクインした〔映画評論, p.2-4.〕。同年6月〔(12月13日とも〔)に公開された大和屋竺・若松孝二の『裏切りの季節』に主演〔〔〔〔、その熱演は高く評価され〔、『映画評論』は同作を「上半期日本映画最高の収穫」として特集を組んでいる〔映画評論, p.20-33.〕。同年9月、国映が香取環、松井康子、清水世津、可能かず子、飛鳥公子、美矢かほる、奈加公子、桂奈美、橘桂子といった成人映画スター女優を結集した『悲器』(監督湯浅浪男)を公開、谷口もこれに出演した〔〔。1967年(昭和42年)6月29日に放送されたテレビ番組『ヤング720』第205回にザ・ビーバーズ、山本リンダらとともにゲスト出演している。1968年(昭和43年)3月30日に公開された『続・決着』(監督石井輝男、製作東映東京撮影所、配給東映)に出演し、メジャーデビューも果たす〔〔〔〔。同年7月30日に放映を開始した大映テレビ室製作、天知茂主演による連続テレビ映画『夜の主役』において、同年10月22日に放映された第13回(監督鈴木敏郎、脚本佐々木守)に、ホキ徳田、白石奈緒美らとともにゲスト出演している〔。当時、専門誌『成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「美しいプロポーションと個性的なマスクで人気を得た」「前向きの行動派としてやる気満々だった」と評する〔。 同年、映画界を引退し、新劇の劇団「人間座」(代表・江田和雄)に加入する〔。記録に残る同年最後の映画は、12月に公開された主演作『亀裂』(監督木俣堯喬、製作プロダクション鷹)であった〔。ただしこの時期の作品記録が掲載されている『映画年鑑 1973』において、独立系の映画作品については監督名や製作・配給会社名以外記載されておらず、この時期の出演者が概して不明である〔。『日本映画俳優全集・女優編』の川島のぶ子の記述によれば、「舞台に数回出演したが、その後、芸能界から完全に身を引いた」という〔。同年11月1日 - 同11日に新宿文化劇場(現在跡地にシネマート新宿)で上演された石堂淑朗の戯曲『血塗られし胎内列車に乗り合わせる三人半』(演出江田和雄)、同年12月17日 - 同21日に日本青年館ホールで上演された栗田勇の戯曲『詩人トロツキー』(演出江田和雄)に出演した記録が残っている〔。 1970年代に入ってから、1971年(昭和46年)3月27日審査・4月公開の『近世毒婦伝 少女地獄責め』〔〔、1975年(昭和50年)6月公開の『女のいけにえ』という2作の向井寛監督作に出演した記録がある〔。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満73歳である〔〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷口朱里」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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