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谷口藍田 : ミニ英和和英辞書
谷口藍田[たにぐち らんでん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [あい]
 【名詞】 indigo 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

谷口藍田 : ウィキペディア日本語版
谷口藍田[たにぐち らんでん]

谷口 藍田(たにぐち らんでん、文政5年8月15日1822年9月19日) - 明治35年(1902年11月14日デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕)は江戸時代から明治時代儒学者。名は中秋、字は大明、別号に介石。幼名は秋之助。肥前国有田(現・佐賀県有田町)出身〔〔有田町歴史民俗資料館報 No.32 〕。
医師三宅省蔭の二男・佐賀藩士谷口寛平の息子、母は儒学者清水龍門の姉・縫。天保11年(1840年)、英彦山の玉蔵坊に易経を学び、また広瀬淡窓咸宜園に入って塾頭を務める。天保14年(1843年)、江戸に出て羽倉簡堂に入門し、佐藤一斎佐久間象山坪井信道伊東玄朴らと交流した。高野山や京都では仏典の研究にも当たった。嘉永元年(1848年)、佐賀藩校・弘道館に入り、草場佩川武富圯南に学び、江藤新平副島種臣らと交流した〔。
嘉永4年(1851年)、私塾を開く。長崎を訪れた際に大隈重信らと王政復古の運動にも関与したり、グイド・フルベッキに対面するなどした。明治2年(1869年)、鹿島藩鍋島直彬に招聘され、藩校弘文館教授、および藩の権大参事を務めた。その後、沖縄・熊本・大阪などの各地で経書の講義を行ない、また明治26年(1893年)には北白川宮能久親王の招きを受け、宮家子弟の教育を行なった。明治29年(1896年)、東京に私塾・藍田書院を開いた。明治35年(1902年)11月14日、麹町相模屋で入浴後に脳溢血で倒れ、死去〔〔ふるさとの先人たち 谷口藍田 武雄市歴史資料館〕〔。
== 脚注 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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