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谷地軌道(やちきどう)はかつて山形県で奥羽本線神町駅と河北町谷地を結んでいた軌道線、およびそれを運営していた鉄道会社である。1916年1月27日に開業したが1935年10月1日をもって廃止となった。 == 概要 == 谷地軌道株式会社は永松・幸生銅山に関連する輸送と谷地で生産された草履表の運搬を目的として1915年に升川勝作により設立され、翌年開業した。最初の1年は最上川を渡る谷地橋の工事が遅れていたためその直前に山王駅〔(仮谷地駅〔)を置いた。昭和初期までは経営が順調だったがその後自動車輸送の台頭で経営が悪化し、最終的には老朽化した谷地橋の掛け替えができないため1935年9月30日の便をもって運転を終了し翌日廃止となった〔谷地軌道 - 山形県と隣接各県の”鉄道遺産”、2014年11月26日閲覧〕。 また谷地町から白岩町までの鉄道敷設免許を保有していた。白岩町には古河財閥の経営する永松鉱山がありこの物資輸送の手段として白岩町延長計画が立てられた、古河としても馬車や荷車に代わる鉄道輸送に期待し建設費援助の申出があった。しかし第一次大戦中の好景気は物価高騰をもたらし当初の建設資金では不足し、また地権者の反対運動もあり工事は進まなくり、さらに1918年(大正7年)頃から永松鉱山の産出量が急減したため古河は方針を転換し谷地軌道への援助を撤回することを宣言した。そして左沢軽便線(左沢線)が1922年(大正11年)に全通することから白岩町延長は断念することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷地軌道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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