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谷嵜なおき : ミニ英和和英辞書
谷嵜なおき[なお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

なお : [なお]
 1. more, further, still more, much more 2. less, still less, much less

谷嵜なおき ( リダイレクト:谷嵜直樹 ) : ウィキペディア日本語版
谷嵜直樹[たにざき なおき]

谷嵜 なおき(たにざき なおき、1978年12月1日 - )は、日本男性プロレスラー大阪府豊中市出身。血液型はO型。身長172cm、体重78kg。リングネームでは名前を平仮名にして、「谷嵜なおき」を名乗っている。
== 経歴 ==
高校を1年で中退しプロレスラーになるため自宅やジムでトレーニングに励む。しかしヘルニアを患ったためプロ、レスラーになることを断念し高校に再入学する。卒業後は転職を繰り返しながら、腰の痛みが癒えたためトレーニングを再開し、闘龍門に入団(同期にベアー福田)〔『週刊プロレス』2013年3月6日号、ベースボールマガジン社、2013年、雑誌29631-3/6、64頁。〕。
闘龍門入団後、闘龍門Xの一員としてメキシコに渡り、2002年12月7日メキシコのヒムナシオ・デ・ラ・ウニダ・クアウテモックにて村上学山本武志組とのタッグマッチにてデビュー(タッグパートナーは坂井謙一)。2004年、闘龍門JAPANに所属を移すが直後に団体がDRAGON GATEとして独立しこれに追随。闘龍門X出身者で唯一のDRAGON GATE移籍者となった。
2005年12月27日、16人参加バトルロイヤルサバイバルゲートに勝利。
当初はDo FIXER入りを目指したものの、あまりの弱さにボスのマグナムTOKYOからサーファーキャラを剥奪され、ウォーターボーイズへの転向を余儀なくされるなどを経て、ようやく正式メンバーになる。しかし、2006年に入ると凶器攻撃や味方への誤爆を繰り返すようになり追放となった。
その頃からCIMABlood Generationに勧誘されていて、4月12日に加入したが、直後に土井成樹らと共に、CIMA、ドン・フジイ鷹木信悟を追放する。
土井成樹をリーダーとした新ユニットマッスル・アウトローズの一員として試合を続けるも、主に負け役である事態が続く。
2006年6月、三島来夢と共にフリー契約となり、2006年7月12日東京後楽園ホールの「WRESTLE JAM」最終戦以降DRAGON GATEから離れることになる。
2006年11月22日ElDorado(エルドラド)新宿FACE大会に乱入、12月27日新宿FACE大会からエルドラドへ本格参戦した。
2007年6月2日ZERO1-MAXに参戦しAWA世界ジュニア王座決定戦ロイヤルランブルに出場した。
同年大日本プロレスデスマッチ参戦を表明。そのテストマッチとして行われた、7月22日博多スターレーン大日本・エルドラド合同興行にて葛西純MASADAを相手にハードコアマッチで勝利(パートナーは宮本裕向)。8月札幌テイセンホール大会でデスマッチデビューしている。
その後しばらくして大日本のデスマッチ戦線からは離脱し、2008年3月6日にはプロレスリングElDoradoを退団する。
3月7日の後楽園ホール大会で、突如DRAGON GATEのマットにマッスル・アウトローズの新メンバーとして現れ(即座に裏切り・離脱)、復帰することを宣言し、翌3月8日のメインイベントで正式に復帰した(DRAGON GATEでは基本的に解雇・退団した選手が再び団体のリングに上がることはこれまでは無かった)。しかし、これに対してYAMATOが異を唱える。
3月20日、大田区体育館大会でYAMATOとシングルマッチで対戦し勝利、試合後、YAMATOと和解し、タッグ結成をアピールした。
3月22日、DRAGON GATEと年間フリー選手契約を結ぶ。
4月17日、後楽園ホール大会でYAMATOとのタッグでGamma堀口元気と対戦するがYAMATOの裏切りに遭い、敗北。(YAMATOはマッスル・アウトローズに加入)
5月5日、愛知県体育館大会で鷹木信悟とハードコアマッチで対戦するが敗北。
5月14日、神田裕之とのシングルマッチ中に新井健一郎岩佐拓のアシストを受けて試合に勝利、試合後戸澤塾に勧誘される。しかし、メインイベント後に土井成樹、吉野正人B×Bハルクを救出し新ユニット(後のWORLD-1)を結成。
2010年9月17日の後楽園ホール大会にてディープ・ドランカーズ入りし、解散後のブラッドウォーリアーズにも加入。
オープン・ザ・トライアングルゲート王座にダーツ(土井ダーツ)でKzyと共にメンバーに選ばれ、発案者の土井成樹に落胆されるもトライアングルゲートを奪取。
2カウントルール(王者のみ2カウントで勝利)を条件に相手に挑戦させ王座を防衛していた。
またPACが持っていたブレイブゲートのベルトを強奪し「Blood Warriors 認定オープン・ザ・ブレイブゲート選手権試合」としていたもののPACに取り返されてしまった。
2012年1月8日、名古屋での試合で右肩を脱臼・骨折(全治半年)欠場中に体型は違えど、髪型や肩の刺青など本物ソックリ?の「谷崎なおき」(「嵜」ちがい)が出場中。その代わりトマホークT.T.が欠場している
7月1日大阪での試合の終了後にジミーズが締めのマイクを行っているところに、黒髪&メガネで現れ「今日はメガネを掛けて来ました。ジミーズに入れてください」とジミーズ入りとなった。
9月23日オープン・ザ・トライアングルゲート選手権にて「トライアングルゲート・コントラ・タニザキナオキ」として戸澤、ハルク、谷崎組に敗戦。負けた場合に当の本人が改名させられる試合として開催されたが、谷崎なおきから「同じタニザキがカブる」との理由で「豊中出身」「イルカのような目」「イルカはキューキュー泣く」を踏まえた上で「Mr.キューキュー・豊中ドルフィン」に改名させられた。
2013年1月27日神戸サンボーホール大会で、リングネームとDRAGON GATE追放をかけて行った谷崎なおきとのシングルマッチに勝利し、谷嵜なおきの名前を取り戻し、逆に谷崎なおきのリングネームを「Mr.ピーピー・苫小牧ペンギン」に改名させた。その後、名前は取り戻したものの「Mr.キューキュー"谷嵜なおき"豊中ドルフィン」というリングネームで活動した。
2015年10月8日の後楽園ホール大会で、ジミー・クネスJ.K.S.に敗北。その後、欠場中のジミー・カゲトラにジミーズに残るように言われるもカゲトラに必殺のインプラントを放ち、ジミーズを脱退。VerserKに加入。そしてリングネームを「谷嵜なおき」に戻した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷嵜直樹」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Naoki Tanizaki 」があります。




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