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谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年12月15日 - )は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京府出身。現在の東京都立豊多摩高等学校〔1940年の開校から東京の都制施行、学制改革を挟んで1950年までの間にたびたび改称しており、谷川はその時期に在校していた。〕を卒業。 == 人物 == 哲学者で法政大学総長の谷川徹三を父として、東京府東京市(現・東京都)杉並区に生まれ育つ。 1948年から詩作および発表を始める〔田原編著『谷川俊太郎詩選集』第3巻、集英社文庫に拠った。同年11月には詩誌『金平糖』において2篇の詩を発表している。なお、詩作の活動開始を1949年としている文献が多い〕。1950年には、父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。1952年には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。 まもなく、詩作と並行して歌の作詞、脚本やエッセイの執筆、評論活動などを行うようになる。 また、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対した。 1962年に「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞した。1964年からは映画製作に、1965年からは絵本の世界に進出した。映画においては、自ら“市川崑監督の弟子”と称して、もっぱら同監督の作品の脚本を手がけた。1973年の『股旅』などは特に評価が高い。1978年の『火の鳥』も、映画自体は遊びが過ぎて酷評されたものの、脚本(キネマ旬報に掲載)は、原作に忠実で詩人としての本領を発揮した雄渾な作品である。 1967年には初の訳書となる『あしながおじさん』(ジーン・ウェブスター)を出版。翻訳の分野では『スイミー』(レオ・レオニ)、『ピーナッツ』、『マザー・グースのうた』など2007年現在までにおよそ50種類の著作を手がけている。 2007年現在までに出版した詩集・詩選集は80冊以上におよぶ。子どもが読んで楽しめるようなもの(『わらべうた』『ことばあそびうた』など)から、実験的なもの(『定義』『コカコーラ・レッスン』など)まで幅広い作風を特徴としている。谷川の詩は英語、フランス語、ドイツ語、スロバキア語、デンマーク語、中国語、モンゴル語などに訳されており、世界中に読者を持っている。 日本ビジュアル著作権協会の会員として、著作権擁護に熱心に取り組んでいる。そのため、現在市販の国語教材で谷川の作品を見かけることはほとんどない。 これまで3度結婚しており、岸田衿子は最初の、大久保知子(元新劇女優)は2人目の、佐野洋子は3人目の妻であった。また、大久保との間に生まれた息子の谷川賢作は音楽家であり、父子によるコンサートを数多く行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷川俊太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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