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谷川真理 : ミニ英和和英辞書
谷川真理[たにがわ まり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

谷川 : [たにがわ]
 【名詞】 1. mountain stream 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真理 : [しんり]
 【名詞】 1. truth 
: [り]
 【名詞】 1. reason 

谷川真理 : ウィキペディア日本語版
谷川真理[たにがわ まり]

谷川 真理(たにがわ まり、1962年10月27日 - )は、現役の女子マラソン選手で、現在ではタレント活動を積極的に行っている。福岡県出身、東京都荒川区在住。
== 来歴・人物 ==
東京・武蔵野中学校・高等学校時代は陸上部に所属していたが、練習嫌いだったため南関東大会どまりで精一杯だった(同学年で谷川と同じく南関東大会に出場していた選手に、女子マラソン元日本最高記録保持者で1988年9月開催のソウル五輪女子マラソン代表の宮原美佐子がいる)。
高校卒業後、一橋スクールオブビジネスから都内の一般企業でOLとして働いていたが、皇居近くを走る市民ランナー達を見て、谷川自身も昼休みに走り始めた。ジョガー時代から中島進の指導を受ける。市民マラソンでの優勝を契機に注目を浴び、1990年資生堂入社。実業団入りしてからの谷川は、平凡な市民ランナーから一躍日本女子マラソン界のトップアスリートへと、着実に飛躍していった。なお資生堂の後輩には、オリンピックに3大会連続出場を果たした弘山晴美などがいた。
1991年11月の東京国際女子マラソンでは、後に1992年8月開催のバルセロナオリンピック女子マラソン・金メダリストとなるワレンティナ・エゴロワロシア・当時ソ連)らをレース終盤に逆転して、2時間31分台でマラソン初優勝を飾る。東京では1983年佐々木七恵以来、8年ぶりに日本女子選手の覇者となり、大きな話題となった。翌年3月の名古屋国際女子マラソンで再び優勝を目指して出場したが、初マラソンの大江光子にわずか5秒差で敗れてしまい、惜しくも準優勝だった。
そのシーズンはバルセロナ五輪代表選考レースであったが、1991年8月の世界陸上東京大会女子マラソンで猛暑の中、山下佐知子が銀メダルで五輪代表内定、有森裕子が4位入賞(いずれも谷川の東京優勝タイムを上回る)の好成績を挙げる。1992年の大阪国際女子マラソンでは小鴨由水松野明美が日本記録を更新するなど、谷川を上回る好記録を収める選手が続出した為、東京で優勝しながら谷川は大江と共に、バルセロナ五輪代表の最終候補選手には挙げられなかった〔五輪女子マラソン代表選考会で優勝しながら五輪代表に選ばれなかったのは、1992年バルセロナ五輪選考時の谷川と大江のみである〕(バルセロナ五輪女子マラソン日本代表は山下の他2番手に小鴨、最後の三番手の椅子を有森と松野が争うも、結果有森が代表選出された)。谷川は惜しくも補欠代表に留まったが、その後小鴨由水が体調不良を引き起こした為に五輪辞退・谷川の補欠繰り上げ濃厚との報道も取り沙汰される。だが結局は小鴨が五輪強行出場を表明した事により、谷川のバルセロナ五輪・女子マラソン本番のスタートラインには立てなかった。
1992年7月のゴールドコーストマラソンでは、途中トイレに駆け込むロスタイム発生が有りながらも優勝。1993年11月の東京国際女子マラソンでは、ワレンティナ・エゴロワに競り負けたが、2時間28分台で初のサブ30を果たし日本人トップの2位に。1994年パリマラソンでは、後に1996年7月開催のアトランタオリンピック女子マラソン・金メダリストとなるファツマ・ロバエチオピア)らを破って優勝を果たし、自己ベスト記録である2時間27分55秒(当時日本女子歴代9位)をマークした。
谷川は1996年のアトランタ五輪も目指していたが、前1995年の東京国際女子マラソンでは足の故障悪化により欠場。翌年1月の大阪国際女子マラソンもケガの回復が遅れてエントリーを回避、五輪国内最終選考会である3月の名古屋国際女子マラソンでラストチャンスに賭けた。しかし万全の体調で臨む事は出来ず、レース序盤から優勝争いへ殆ど加われないまま結果2時間35分台の23位に終わり、念願のオリンピック女子マラソン日本代表選出は一度も叶わなかった。
それでも谷川本人は後年、月刊誌・ランナーズにおいて「もしオリンピックに出場出来ていたら、もうそこで私は燃え尽きてしまって、きっと走るのを辞めていたと思います。でも五輪落選の後、『これからも一緒に走ろうね』『走ることを辞めないで!』等と、私を励まして下さった沢山の市民ランナーやファン達の声援に、もの凄く感動しました。五輪に出られなかったからこそ、今でもマラソンランナーとして走り続ける事が出来るのだ、と思っています」との記事を寄せている。
1994年に資生堂から良品計画に移籍、現在はアミノバイタル(味の素)ACに所属。マラソンの実況解説や、スポーツコメンテーター等としても活動しているが、テレビ番組の冒頭では大抵「マラソンランナー 谷川真理」として紹介されている。資生堂時代から2000年頃まではショーツ形の「ブルマー」、現在は下腹部にぴったりと密着した「スパッツ」か「ショートパンツ」を着用してレースに出場している。
例年春と秋に行われる「オールスター感謝祭」(TBS系)の企画「赤坂5丁目ミニマラソン」(他「赤坂5丁目ミニ駅伝」等にも出場)には、かつて足の故障等が無い限り1997年から2013年頃までほぼ毎回出走していた。但し谷川に対しては毎回大きなハンデが課されているためか、「赤坂5丁目ミニマラソン」での優勝は2001年・秋の1回のみだった。
2015年の正月明け頃迄には、ハーフマラソンのイベント「谷川真理ハーフマラソン」(現・ハイテクハーフマラソン)の主宰を務めた。市民ランナーの出場者は毎回ほぼ1万人を超えており、大変人気の有るマラソン大会の一つとなっている。また、毎年5月には「谷川真理駅伝」(2015年より現・ハイテクタウン駅伝)も主宰し、両イベントとも地雷廃絶チャリティ大会となっていた。ほか、全国各地の市民マラソンに招待されることが多い(滋賀県長浜市(旧浅井町)で開催の『お市マラソン』、宮城県気仙沼市の『気仙沼つばきマラソン』など。また長野オリンピック記念 長野マラソンでは、谷川自身も出走しマイクを持ちながら、市民ランナーに対してインタビューを行うリポーターも務めていた。
なお、谷川真理のいとこにあたる陸上競技選手には、アテネ五輪で男子110mハードルの日本新記録を樹立した、現筑波大学講師の谷川聡がいる〔 谷川真理 Facebook(2013年10月14日付)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷川真理」の詳細全文を読む




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