|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 幹 : [みき] 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base ・ 々 : [くりかえし] (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
谷幹々(たに かんかん、明和7年1月17日(1769年) - 寛政11年7月23日(1799年8月23日)、女性)は、江戸時代後期の女流絵師。谷文晁の先妻。 出自は林氏。名はハマ子、字を翠蘭、幹々は号。 ==略歴== 父は林是邦・母は穂積氏。16歳で母方の従兄弟にあたる谷文晁と結婚。谷一家は数十人の大家族であったがよく尽くしたという〔『幹々墓碑銘』〕。夫文晁より画の手ほどきを受け、南画を描くようになる。寛政4年正月18日(1792年)には文晁とともに料亭萬屋で開催された書画会に参加。花卉図・蘭竹図・山水画を得意〔『古今墨跡鑒定便覧』〕とした。寛政7年から同9年12月まで、毎日観音像を描くことを日課として千枚以上になったといわれる。この観音像は市中にて大いに人気が出て争って買い求められた〔『観音像記文』〕。享年30。墓は浅草源空寺。 長女のお宣が文一と結婚し養嗣子となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷幹々」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|