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谷 正綱(こく せいこう、1902年4月30日 - 1993年12月11日)は中華民国(台湾)の政治家。当初は中国国民党左派に属して反蒋介石運動にも加わった。後に蒋支持に転じ、晩年は国際的な反共主義運動の指導者となる。兄の谷正倫、弟の谷正鼎も中国国民党や国民政府で要職に就き、彼らと共に「谷氏三兄弟」と称された。字は叔常。 == 事跡 == === 改組派からの台頭 === 1922年(民国11年)、弟の谷正鼎と共にドイツへ留学し、ベルリン大学で学ぶ。留学中の1924年に兄弟揃って中国国民党に入党した。1925年、やはり正鼎と共にソビエト連邦に向かい、モスクワ中山大学で研究に従事した。 1926年(民国15年)に帰国し、1928年(民国17年)、陳公博・顧孟余ら国民党左派が結成した「国民党改組同志会」(いわゆる「改組派」)に加入した。1931年(民国19年)、蒋介石が胡漢民を軟禁したことにより反蒋派が広州非常会議を開催すると、谷もこれに参加して北平・天津で活動している。 同年の満州事変(九・一八事変)勃発により蒋派・反蒋派の大同団結がなり、12月に谷正綱は国民党第4期中央執行委員候補に選出される。1934年(民国23年)12月、国民政府実業部常務次長に任命され、翌年11月には第5期中央執行委員・常務委員・組織部副部長に抜擢された。1937年(民国26年)の日中戦争(抗日戦争)勃発後に中央軍事委員会第5部副部長に任命され、翌年6月には三民主義青年団中央臨時幹事会常務幹事となる。さらに国民党浙江省党部主任委員兼第3戦区政治部主任に任ぜられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷正綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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