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谷端川(やばたがわ)は、東京都豊島区および北区、文京区をかつて流れていた河川。現在はほぼすべての区間が暗渠の下水道幹線となっている。 == 地理 == かつて河川としての谷端川は以下のような流路で流れていた。 東京都豊島区千早と豊島区要町の境界付近にある粟島神社境内の弁天池が水源である。千川上水の長崎村分水が現在の有楽町線千川駅付近から樋で落とされ、粟島神社の湧水先で谷端川に合わせて南流する。西武池袋線を椎名町駅西側で越えると流れは東に曲がって山手通りと交差し、一転して北に流れを変える。再び西武池袋線を越えて、山手通りの東側を道に並行するように北東に進む。現在の立教大学の西側、有楽町線要町駅の東側を北に向かって流れ、以降板橋区と豊島区の区界に沿って行く。 東武東上線の手前で支流を交えると、東に転じて下板橋駅の際で東上線を越え、板橋駅の北側で赤羽線の線路を潜る。今度は北区と豊島区の区界に沿って東南へ流れ、山手線大塚駅の北側に出る。大塚駅の東側で山手線を潜った後、大塚三業通りを経て東京都道436号小石川西巣鴨線に沿って小石川植物園脇を流れる。文京区千石、小石川と流れ、現在の富坂下を横切り、旧水戸藩上屋敷(現・東京ドーム一帯)を通って、外堀通りの仙台橋の下(水道橋の西)で神田川に注ぐ。 延長約11kmで、上流では武蔵野台地の河川としては珍しく南北方向の流れを持っていた。 上流部には支流がいくつかあった。一つは現在の板橋区幸町と豊島区高松3丁目の間を東流し、中丸町に入り川越街道を斜断して熊野町に入る。さらに大山金井町を経て西前橋手前で谷端川に流入していたもので、出端川と呼ばれていた。もう一つは現大山30番(元千川上水大山橋)より大山駅線路の北側に出て東流し、大山金井町北部より西前橋先で谷端川に流れ込んでいた。また、豊島区東池袋の池袋六又交差点付近から板橋区板橋1丁目付近へ南北に走る「下り谷」と呼ばれる谷戸地形にも支流があった。 下流部にも指ヶ谷から小石川(谷端川)に流れ込む支流があった。指ヶ谷の白山通りの東側を流れた支流は東大下水(ひがしおおげすい)などと呼ばれ、旧水戸藩中屋敷(現・東京大学農学部)からと、旧加賀藩上屋敷(現・東京大学)から流れる二つの流れが東大下水に合流した。 現在、川の全域が暗渠化され、豊島区北大塚3丁目付近から文京区小石川2丁目付近までの大部分のルートを都道436号線が通っている。この通りは東京都心・下町と東京西北部とを急坂もなく緩やかに連絡するので、自転車等で往復するには重要な路線である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷端川」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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