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谷衛友 : ウィキペディア日本語版
谷衛友[たに もりとも]

谷 衛友(たに もりとも)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名丹波山家藩初代藩主
== 略歴==
永禄6年(1563年)、戦国大名斎藤道三の家臣であった谷衛好の3男として美濃国で生まれた。衛好はその後、織田信長、次いで豊臣秀吉に仕えた。
天正7年(1579年)の播磨征伐(中国攻め)で、衛好は平田城主とされた。しかし三木合戦における賀伏城周辺の戦いで、衛好は討死。初陣であった17歳の衛友は、父の仇(室小兵衛)をその場で討ち取り、遺骸を奪い返す武勲を立てた。これが織田信長に賞され、本領ならびに2ヶ所の領地、感状と家紋「五三の桐」を賜った。
天正10年(1582年)、豊臣秀吉より丹波国何鹿郡山家村に封ぜられて1万6000石を領した。
天正11年(1583年)、滝川一益征伐で伊勢で戦い、同年の賤ヶ岳の戦いや天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い、特に九州征伐では豊前厳石城攻めでは一番乗りの功名をたてた。天正18年(1590年)の小田原征伐、天正20年(1592年)の朝鮮出兵など、秀吉の主なる合戦に従軍した。
文禄3年(1594年)、伏見城の普請工事に参加した。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、丹波福知山城小野木重次らと西軍に属し、細川藤孝の丹後田辺城を攻撃した。しかし、歌道の師匠であった細川を積極的に攻める意思はなく、傍観的対応に終始した(田辺城の戦い)。戦後は小野木を攻撃するなど東軍に内応し、細川氏本多正純の仲介によって所領を安堵された。
慶長20年(1615年)の大坂の陣に参陣し、のち将軍の徳川秀忠の御伽衆を務めた。寛永4年(1627年)に死去。享年65。跡を4男の衛政が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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