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谷 衛昉(たに もりやす、1811年6月4日(文化8年4月14日) - 1884年(明治17年)5月29日)は、丹波国山家藩の第11代藩主。 摂津国麻田藩主・青木一貞の次男。伊予国宇和島藩主・伊達村年の曾孫に当たる。正室は北条氏喬の娘、継室は織田信陽の娘、継々室は秋田孝季の娘。子に衛金、衛宜、娘(谷衛弼正室)、娘(谷衛滋正室)、娘(橋本実梁室)、娘(上杉勝道正室)。官位は従五位下、出羽守。 文政3年(1820年)、家督を相続する。文政10年12月16日、従五位下播磨守に叙任する。弘化2年(1845年)9月5日、隠居し、養子衛弼に家督を譲る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷衛やす」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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