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豊原 路子(とよはら みちこ、1933年 - )は、日本の作家である〔''豊原路子''、国立国会図書館、2012年6月22日閲覧。〕〔''家嶋芙美子''、国立国会図書館、2012年6月22日閲覧。〕〔''豊原路子''、国立情報学研究所、2012年6月22日閲覧。〕。女優として映画に出演もした〔''豊原路子''、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月22日閲覧。〕〔''豊原路子''、日本映画データベース、2012年6月22日閲覧。〕。旧筆名家嶋 芙美子(いえしま ふみこ)〔。本名・出生名等不明。 == 人物・来歴 == 1933年(昭和8年)に生まれる〔〔。日本大学法学部政治経済学科を卒業後、英文タイピスト、ホステスを経験する〔『世界の男グルメ・裏のウラ』、カバー裏表紙。〕。 1958年(昭和33年)、東京ライフ社から「家嶋芙美子」名義で、最初の著書『銀座のエロス』を上梓する〔〔。翌1959年(昭和34年)、朱雀社から、「豊原路子」名義での最初の著書『マンハント』を上梓する〔。第二書房から、1960年(昭和35年)10月には『体当たり男性論』、翌1961年(昭和36年)8月には『体当りマンハント旅行記』を上梓している〔。未婚の母になり、その後に世界一周旅行をし、1965年(昭和40年)には、その紀行文『出たとこ勝負 私の世界マンユウ記』(東京文芸社)を上梓した〔〔。同年、第二書房の伊藤文學による新書シリーズ「NIGHT BOOKS」に、『体当たり男性論』、『豊原路子の体当りマンハント旅行記』(『体当りマンハント旅行記]』改題)が収録された。 1966年(昭和41年)には、同年2月19日に松竹が配給して公開された湯浅浪男監督の映画『顔を貸せ』に端役として出演、同時期に同名の自著を原作にした『豊原路子の体当りマンハント旅行』〔『映画年鑑 1967』、p.331.〕(監督糸文弘)を完成、同作に主演している〔。横浜、静岡、浜松、京都、大阪、神戸でロケーション撮影を行い、同作には作家の田中小実昌も出演している〔山下、p.47.〕。同年12月、九州から東京に来た谷ナオミが豊原の助手を務めている。 作家の遠藤周作とも交流があり、1967年(昭和42年)に出版された『狐狸庵閑話 巻之2 現代の快人物』(桃源社)には、『体当りヌード・豊原路子』として紹介されている〔遠藤、p.211.〕。同年4月、東京・神楽坂のキャバレー「ムーンライト」で開かれた、伊藤文學の35歳の誕生日と「NIGHT BOOKS」35巻達成を祝うパーティで、豊原は羽目を外し、下半身を露出する行為に及ぶ事件を起こす〔パンティをのぞかせてヘアーを! 、伊藤文學、2008年3月19日付、2012年6月22日閲覧。〕〔『週刊サンケイ』第16巻第15号、p.116-119.〕。同じころ、谷ナオミを雑誌記者を介して国映に紹介、関孝二監督の『スペシャル』(製作新日本映画、配給国映)というピンク映画に出演させ、女優デビューさせている〔18歳のとき、わたしが初めて脱いだ日のこと 、谷ナオミ、ゲンダイネット、2012年6月2日付、2012年6月22日閲覧。〕。 22年ぶりの著書である『世界の男グルメ・裏のウラ』を上梓した1987年(昭和62年)5月以降の消息はわからない。伊藤文學によれば豊原は相当の美人だといい〔、『世界の男グルメ・裏のウラ』のカバー裏表紙には、当時の近影が掲載されている〔〔世界の男グルメ・裏のウラ 、Amazon.co.jp, 2012年6月22日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊原路子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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